GA4のタグ
BOOK

戦国大名小説がまさかの「泣ける小説」だった 愛する者と大義を秤にかけた愚直な男の物語

大友二階崩れ
赤神諒:著
日本経済新聞出版社

あらすじ

時は天文十九年(西暦1550年)2月。
豊後(ぶんご・現在の大分県)の国を治める大友家で後継者争いがにわかに勃発した。
豊後の主君・大友義鑑(よしあき)は正室の子であり嫡男の五郎義鎮(よししげ)を廃嫡し、愛妾が産んだ塩市丸を世継ぎとすることを決めてしまったのだ。
義鎮が生きていてはいつ謀叛を起こすとも限らない。
そのため義鑑は義鎮をこの世から葬ろうと考え、家臣の吉弘左近鑑理(よしひろさこんあきただ)に義鎮の殺害を下知する。

吉弘家は代々大友家に仕えた第一の忠臣であり、義を以て主に尽くす姿はあまねく豊後に知られていた。
鑑理も祖父、父に並ぶ忠義の士であり、これまで愚直に義鑑に仕えてきたが、実子を父が殺めるという非道に懊悩する。
同じく、鑑理の盟友・斎藤長実(ながざね)も義鑑の横暴な沙汰に強く諫言したが、義鑑の怒りを買い切腹と成り果てた。
ところが、長実の死に憤った家臣が大友家を襲撃し、義鑑の愛妾・奈津、塩市丸を殺害、義鑑も深手を負ってのちに落命してしまう。

義鑑を失った豊後は嫡男であった義鎮が新しい主君となり、義鑑から義鎮暗殺の命を受けていた吉弘家は謀叛人とされてしまった。
吉弘家に改易の危機が及び、鑑理の実弟・右近鑑広(うこんあきひろ)をはじめ周囲の者は吉弘家存続をかけて様々な策を講じるが、愚直な鑑理は新しい主君の義鎮に弓引くことを許さず、とうとう大きな争いの渦に巻き込まれてしまう。

ニャム評

「二階崩れの変」を題材にした歴史小説です。
世は戦国時代、大友氏という大名のお家騒動によって、家臣の吉弘家が窮地に追いやられるという話ですが、これを一言でザックリ言うと
主人公の兄ちゃんのマジメが度を超してみんなが大迷惑
もしくは
歴史小説を読んでいたはずなのにまさかの「泣ける小説」だったとは!
みたいなところでしょうか。
いやほんとに、めちゃ泣けます。
うっかり電車とかで読むと危険です。
私は通勤電車内で読んでしまって大変なことになりました。

さて、もうちょっと真面目に解説すると、吉弘家の主君である左近鑑理(さこんあきただ)と、その弟の右近鑑広(うこんあきひろ)の物語です。
兄である鑑理は戦が苦手でおまけに泣き虫。
実直だけがとりえで、主君の大友義鑑へ義を以て仕えていました。
一方の弟・鑑広は武芸に秀で、勇猛な武将として名を馳せていました。
まったく違う兄弟ですが、ふたりは互いの力を合わせて吉弘家を守ってきました。
そんな折、主の大友義鑑(よしあき)が突然「塩市丸を俺の後継にする。誰がなんといってもそうする」と言い出します。
正室の子である義鎮(よししげ)は武芸が苦手で繊細なため、力で繁栄を築いてきた義鑑とはもともとそりが合わず、悪いことに側室の子・塩市丸が文武に秀でた男児だったため、義鑑は側室かわいさで身勝手な廃嫡を考えついたのでした。
※廃嫡とは簡単に言うと相続権を奪われることです。大友家の後継とされていた義鎮は廃嫡によって次期主君にはなれなくなった、ということですね。

義鑑の勝手なひいきで義鎮の命が奪われるとはとんでもない。
義理人情のカタマリである鑑理は義鑑を諫めますが、結局ごり押しされて「塩市丸の傅役(責任を持って立派な大人に育てること)」を引き受けます。
しかしその後「二階崩れの変」が起き、義鑑、側室の奈津、塩市丸は殺害されてしまいました。
そんなこんなで義鎮が新しい主君となったのですが、鑑理が塩市丸派だと思われてしまい、さらに義鑑の訃報を聞いた鑑理がわんわん泣き出したため、すっかり義鎮の機嫌を損ねてしまい、お家取り潰しの危機に瀕します。

鑑理は本当に二心のない、真面目で忠義な家臣なのですが、なにしろ一本気で取り付く島もない。
弟の鑑広は最愛の妻・楓と息子、楓の弟たちとともに暮らしていて、鑑理のばか正直な大義のために家族を失うのはまっぴらごめんだと言います。
それでも最後には兄を信じ、ついていこうと決心するのですが、このふたりの兄弟を運命は容赦なく襲います。

私も時代小説を読んでいて家臣が主君に忠義を尽くす姿を美しいと思ったりしていましたが、さすがに鑑理の大義はそこまで守る必要があったかな?と思ってしまいました。
鑑理の愚直さによって、吉弘家は次々に窮地へ追い込まれていきます。
回避する機会は幾度もあったはずなのに、鑑理が頑なに譲らないために大切な者を失う悲劇をも招きます。
それでも宗家の大友に背くことはせず、ただひたすらに尽くした鑑理に、物語の最後で思いがけない出来事が起こります。
まっすぐな心が様々な人の心を少しずつ動かし、やがてその心が状況をも変えていく様子は読む人の心にも強い感動を呼び起こします。
戦国時代の大名合戦で、勝ち馬に群がり策を講じる面々のなかにいて、自分の信念を曲げずに生きていくことは容易ではないでしょう。

大義とはいったいなんでしょうか。
世情が不安定な時代ではいつも同じことが繰り返されます。
誰についていけば自分の扶持を守れるか、保身に走る人はいつの時代にもはびこっています。
私も職場で保身に走る人をたくさん見てきました。
そういう人たちを悪いとは言いません。
嵐に遭遇したら建物の中に避難するのは当たり前のことだとは思います。
でも、大切なものを守るために嵐の中を飛び出していくからこそ、語り継がれる物語となるのでしょう。

吉弘家が改易と決まったことを家族に伝える場面で、鑑理の息子・嘉兵衛が納得いかずに反論する場面があります。

「私はこれまで父上から義を守れ、貫けと教えられて育ちました。こたび当家が滅ぶは、父上が義に反した行いをされたがゆえにございまするか?」
鑑理はゆっくりと頭を振った。
「わしは何ひとつ義に反する真似をした覚えはない。さればお前は父を誇りに思うてよい」
「逆ではありませぬか。当家は義を守るがゆえに滅びんとしておるのではありませぬか?義を貫きし者が、何ゆえ滅びねばなりませぬ!」
 鑑理にも解らぬ。己がしてきた選択の結果だが、天の摂理というほかない。
「賀兵衛よ。たとえ滅びようとも、義を貫かねばならぬときがあるのじゃ」
「義とはさように脆く、か弱きものなのですか?」
「そうではない。そうではないぞ、賀兵衛」 鑑理は己にも言い聞かせるように繰り返した。
(中略)
「大なる義を為すためには、小なる不義もやむを得ぬ場合がございましょう」
「いや、ない。ひとたび小なる不義を為した者は信を失う。口先だけの者に、大なる義を為せはせぬ」

「大なる義を為すためには、小なる不義もやむを得ぬ」というのは、詭弁にすぎません。
時代劇でもだいたい、小ずるい者が必ず口にするセリフですね。笑
けれど、鑑理の言う「大義」を成し得た人がこの世にどれだけ存在したでしょうか。
わが身に置き換えて考えたとき、これまでの人生の来し方を胸を張って誇れるかどうかはわかりません。

ただひとつ、この物語にあえて残念な点を挙げるとすれば、鑑理がすべてをかけて守ろうとした主君の義鑑、義鎮がそこまで素晴らしい人物には見えなかったところでしょうか。
弟の鑑広や息子の嘉兵衛が言うように、主君よりも大切なものがあったのではないだろうかと思ってしまいます。
鑑理が次々に大切なものを失っていく様を読み続ける読者も、心の底から悲しみと絶望を追体験します。
信念とは、大義とはいったいなんだろう。
人生半分くらいまで生きてきましたが、まだまだわからないようです。

著者ブログ

赤神諒 オフィシャルブログ
赤神諒のほめブロ