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「小原鑑元の乱」とはただの“家臣による謀反”だったのか。悲運の名将を現代に描き出した「大友二階崩れ」のその後

大友落月記
赤神諒:著
日本経済新聞出版社

あらすじ

「二階崩れの変」から6年。
大友家先主の義鑑(よしあき)が斃れ、義鎮(よししげ)が当主となったが、政より美を愛した義鎮は内政を目付け役の田原宗亀(たわらそうき)に任せて自身は側室や茶器などを愛でていた。

宗亀は強大な勢力となり、宗家の義鎮以上の力を持つようになった。
義鎮近習の吉弘嘉兵衛鎮信(よしひろかへえしげのぶ)と田原民部親賢(たわらみんぶちかかた)は宗亀の大友家乗っ取りを恐れて宗亀を滅ぼそうと企み、大友家第二といわれる武将・小原鑑元(おばらあきもと)に宗亀打倒の協力を請う。
しかし政智に長けた宗亀は次々に手を打ち、鑑元へ無理難題を押し付け、ついには鑑元を大友家に叛意した逆賊とした。
さらに義鎮へも取り入り、宗亀は義鎮と手を組んで鑑元を逆賊として討つよう工作したのだ。

鑑元派と大友家との戦が勃発し、鑑元はついに大友家第一の勇将・戸次鑑連(べつきあきつら)と正面対決することになるが--。

ニャム評

著者の処女作である「大友二階崩れ」のその後を描いた戦国小説です。

大友二階崩れ
戦国大名小説がまさかの「泣ける小説」だった
愛する者と大義を秤にかけた愚直な男の物語

「大友二階崩れ」では大友家の家臣・吉弘鑑理(よしひろあきただ)が奮闘する姿を描きましたが、今作ではその鑑理の息子である嘉兵衛が主人公となって登場します。
前作では父に小生意気な意見をする子供の嘉兵衛でしたが、成長して大友家へ近習として働いています。
近習(きんじゅ)とは「主君のそばに仕える者」という意味で、家督を継ぐ者が宗家へ置かれるというのは人質的な意味もありますが、いずれにせよ嘉兵衛は立派な武人となったわけです。

今回の物語は「小原鑑元の乱」という史実を描いていますが、その戦の核は大友家と大友家が平定する以前からその地に居住していた武家との対立が生んだ争いで、「姓氏対立」とも呼ばれています。

小原鑑元の乱
Wikipedia

物語の舞台である豊後国(ぶんごのくに)は現在の大分県にあたります。
大友家がこの地を領土とする以前から住んでいた武家たちは、豊後が大友家の領地となり家臣になると、「他紋衆」と呼ばれるようになります。
大友家の家紋であるイチョウの葉をかたどった「杏葉紋」(ぎょうようもん)は大友家の直系のみが使用を許された紋であり(その紋を使用する武家を「同紋衆」と呼びました)、のちに家臣となった武家たちは紋の使用を許されませんでした。
さらに他紋衆はなにかと同紋衆と差別され、同じ大友家に仕える家臣としての不満が募っていったわけです。

そんななか、小原鑑元は他紋衆の不満を取り除くため、豊後で民とともに農地を広げ、穀物を育て、苦楽をともにすることで民衆の心をつかみ、他紋衆から絶大な支持を集めます。
慈愛の将として尊敬を集め、優れた統治と武功により大友家に忠を尽くした鑑元でしたが、残念ながら権力闘争には疎く、政智に長けた宗亀によってはめられてしまいました。
宗亀はわかりやすく同紋衆と他紋衆を差別し、他紋衆に不満を募らせます。
そしてついに我慢の限界を迎えた他紋衆は、鑑元を将に立てて同紋衆へ戦いを挑むことになるのです。

本文中にもありますが、世間で語られる「小原鑑元の乱」とは、鑑元が宗家へ反旗を翻した謀反人とされていますが、本作では鑑元の人間的魅力を最大限に描き出すことで世間の評価に対し意義を唱えています。
この鑑元という傑人が非常に魅力あふれる人物で、読んでいるうちにどんどん好きになっちゃうんです。
まだ若造で視野の狭い嘉兵衛が右往左往するなか、でんと構えて信念を貫く鑑元の大らかさは、優れた上司と若手部下のような関係でもあります。
今の時代にこんな人がいたら、みんな滅私奉公してしまうだろうなぁ。
こういう人が逆にいない現代では、誰かのために働くという喜びを知ることもできません。
だから若い人なんかは、プライベート第一で会社のためになにかしようなんて、思いもしないでしょうね。
それはちょっとかわいそうというか、つまらない社会人生活だろうなと思います。
私は非凡な上司に恵まれて楽しく働かせてもらった経験がありまして、優秀な人と働くのはやりがいがあるなとしみじみ思いました。
なにが楽しいって、とにかく決断が早い。
すぐ決裁されるので、待つことなくどんどん仕事が進むんですね。
優秀な人と伴走すると、どんどんスピードを上げてついには空も飛べるんじゃないかと思うような、ものすごい疾走感があるんですよね。
それで仕事中毒にもなりましたが。笑

著者である赤神氏(@r_akagami)の最大の魅力はその文章にあります。
彼の紡ぎ出す言葉の美しさは荘厳にして優美な風景を目に映すような錯覚をおぼえます。
例として一文を挙げますと

「おお、見よ。虹が架かっておるぞ」
馥郁(ふくいく)たる濁り酒の香を舌の上で転がしながら杯を重ねるうち、いつしか雨はやみ、晴れ間が光の帳(とばり)をそよがせていた。

嘉兵衛と鑑元がともに酒を飲むシーンですが、読み手も嘉兵衛らとともに虹を見ているような、鮮やかな情景が目の前に広がります。
この優美な情景描写は、Googleの予測変換では生み出すことのできない美しさであり、noteで売られている「文章の書きかた」を読んでも残念ながら身につくものではありません。
この美しく流れる文章を目で追う楽しみもまた、読書の大きな魅力ですね。

蛍が出た。次々と出た。尽きぬ光の泉のように湧き出てきた。
光だけで作られた花がそよ風に咲き散るように、蛍が舞っている。

この幻想的な風景がなにを語っているのか、それは物語を追い続け、結末を知った人だけが見ることのできる、涙の情景なのです。

「大友二階崩れ」は男泣きの号泣物語でしたが、本作はやりきれない悲しみと絶望、そして絶望の底に小さく光る優しさが頬を伝うような、大切な人をしみじみと思う物語です。
人はなんのために戦うのか、どこまで遡れば運命は変えられたのか。
読了したあと、深く考えさせられる一書でした。

ところでこの本の前に「大友の聖将」という物語が出版されていたのを知らず、すっ飛ばして読んでしまいました。
こちらも楽しみに読もうと思います。

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