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わたしには、きらいな人がいる。あんな人、ころべばいいのに。ヨシタケシンスケの発想えほんシリーズ第4弾は心の闇と向き合い問題を解決

ころべばいいのに
ヨシタケシンスケ:作・絵
ブロンズ新社

おはなし

わたしには、きらいな人が何人かいる。
なんであんなひどいこと、人に言えるんだろう。
あんな人、ころべばいいのに。

だれかのことをきらいになるのって、すごくいやだ。
いやなきもちになって、ぜんぜん楽しくないし、だれかのことをきらいって思っている時間がもったいない。

いやなきもちをなくすためにはどうしたらいいだろう。
自分をはげますアイテムがあったらいいよね。
いやなことがあったときのために、「はげましアイテム」を用意しておけばいいんじゃないかな。

もしかして、わたしにいやなことをするあいつは、だれかにあやつられているんじゃない?
だとしたら、ほんとうにいやなやつって、あやつっているそいつなんじゃない?
じゃあ、あやつっているそいつをきらいになればいいんだ!

ここがおすすめ

ヨシタケシンスケさんの「発想えほん」シリーズ第4弾です。
ちなみに私は「哲学する絵本」シリーズと勝手に呼んでいます笑
書店でタイトルを見た瞬間、おお、ついに心の闇に切り込んだか、と思いました。

子供にだって、きらいな人はいます。
むしろ、大人よりも簡単な理由で人を選別しているのではないでしょうか。
特定の誰かに対する嫌悪感、憎悪、蔑みなど、本当はそんな気持ち、子供に持ってほしくないですよね。
でも、子供から「〇〇ちゃんがきらい」と打ち明けられたとき、「そんなこと言ったらダメよ」とか「友だちとは仲良くしなさい」と言ってしまったら、子供の心を否定することになります。
「みんななかよし」なんて幻想ですからね。
「みんな」「誰とでも」仲良くなんて、できるわけありません。
だってみんなそれぞれ違った性格や思考があって、自分と同じ人なんてひとりもいないんですから。
子供にだけ「みんなと仲良くしなさい」と押しつけるのは大人の傲慢です。
だって、あなたにもきらいな人、いるでしょう?

きらいな人がいたら、どうしたらいいだろう。
そこから目をそらさず、じっくり考えたのがこの絵本です。
誰かをきらいって思う気持ちは、子供にとっても決して気持ちのいいものではないでしょう。
そのせいで気持ちが沈んだり、つまらないことを延々と考えたり、楽しい気持ちになれないのは、自分にとって損をしている時間でもあります。
じゃあ、どうしてその人がきらいなんだろう。
いやな気持ちになったとき、どうしたらいいだろう。
もしかしたら、いやなことをするのは、人間じゃない別のなにかなんじゃない?
そんなふうに、だんだんヨシタケシンスケワールドに脱線していきつつ(笑)、「きらいな人」というものを俯瞰し、冷静に分析することで、心の中での落としどころを見つけていきます。

これは私の個人的な考えですが、幼少時はとにかく「みんななかよく」を極度に推奨され、好き嫌いを否定する風潮に違和感をおぼえています。
私はものすごく好き嫌いがはっきりしていて、友だちはほんの数人しかいません。
子供のころから「誰とでも仲良く」なんて絶対無理、なんならたいていの同級生は好きじゃなかったです。笑
クラスの女の子たちの「みんなこう思うよね」ということに、「私はそうは思わない」と感じることがほとんどで、だから特定の誰かをいじめるとか、一部の人たちだけ選民的な立場になることもまったく理解できませんでした。
たぶん「集団の意思」みたいなものに共感できないのだと思います。
「集団の意思」は「集団に属する個々人の意思」を抑圧し、その集団の支配者にとって都合のいい「個人的な意思」のすり替え、押しつけだと思うからです。

少し脱線しますが、以前、いじめについてこんな一文を読んだことがあります。
日本ではいじめられたりいじめたりするということを、ほぼすべての人が学童期に経験するので、いじめに対しての心理的ハードルが低いのだということでした。
自分が経験したことがあるので、子供のいじめを見聞きしても「その程度はしかたない」「よくあること」と大人は片付けがちだというのです。
私は、いじめられたこともいじめたこともない「希少な」子供だったようです。
そもそも友だちがいないので、いじめの現場に遭遇する機会もないわけですが。笑
でも、だから、なのでしょうか。
私はいじめが発生する思考回路をまったく理解できませんし、許容することができません。
誰かが他人を虐げる権利を持つなど、「しかたない」とも「よくあること」ともまったく思えないし、それはただの「人権侵害」であり、「暴行」であり、「脅迫」でしかないと思っています。

「誰かをきらいになる」という当然の心理を否定し、ふたをすることで、子供の心にはゆがみが生じ、そのゆがみがいじめとして発露するのではないかと、なんとなく思っています。
いじめをする子供はたいてい「自分は正しい」と思っており、いじめの被害者に過失があることにします。
そして、「みんなだってそう思うよね」という同調圧力を生じさせることで「自分は正しい」の裏付けを行っているのだろうと思います。
これは子供だけではありませんね。
むしろ大人のほうが過失を認めず、自分の正当化にやっきになっているかもしれません。

きらいならきらいでいいじゃない、私はそう思います。
ただ、自分の気持ちを他人に強要するのは完全な誤りです。
また、「ころべばいいのに」というのは相手に対する呪いですから、これもアウトです。
「ころべばいいのに」と思ってしまう気持ちを、ではどうればいいのでしょう。
自分は間違った考えを持っているのだろうかという不安を払拭するために、誰かに認めてもらおうとする方法は間違っています。
自分の思想は、他人に承認されればいいというようなものではないのです。
だからこそ、「どうして私はあの人がきらいなんだろう」と、問題を掘り下げて考え抜き、自分の心を見つめることが大事なのではないでしょうか。
そしてそれこそが哲学というものなのです。

この絵本を子供と一緒に読みながら、「きらいな人」についてじっくり考えてみるのもいいと思います。
どうしてその人がきらいなのかな。
なにがいやなのかな。
いやじゃなくなるにはどうしたらいいかな。
もし自分がその人だったらどうするかな。
そんなふうに、いろいろなことを聞いて、子供の気持ちをまっすぐに受け止めて、最善の着地点を一緒に模索するのが、親の務めではないかなと思います。

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