つぶやき

「子供が言うことを聞くにはどうしたらいいか」を考えてから2年。もうすぐ小学3年生になるニャ娘の成長経過報告

Hello world!
あなたの心のおとなりさん、ニャムレット(@nyamletblog)です。

「子供を怒っても言うことを聞かない」のは当たり前。子供が「言うことを聞く」にはどうしたらいいか考えてみた という記事を2年くらい前に書きました。
あのとき、「中学生くらいでグレるかもしれませんけどね」なんてエクスキューズを入れましたが、あれからニャ娘がどうなったかの経過報告です。

【朗報】めちゃくちゃいい子に育っています\(^o^)/

親ばか丸出しで恐縮ですが、めちゃくちゃいい子に育っています。
自分をあまり下げて言いたくはありませんが、低学歴で家庭環境も劣悪だった私が親なのに、なんでこんないい子に育っているんだろうとときどきおののきます。
「おののく」をいちおうググってみたら、こう書いてありました。

・おのの-く
をののく【戦く】
《五自》体や手足が恐ろしさや不安などで、ぶるぶるふるえる。わななく。

そうそう、コレ。合ってます。
ときどき不安になるほどいい子です。
不安のもとは
①ニャ娘はいい子に育っているが、それが私の関わり方によるものなのか確信がない
②無理をしていい子を演じているのではないか

です。

しかしいまのところ、「無理をしていい子を演じているのではないか」という懸念はなさそうです。
あまりに心配なので「ニャ娘ちゃんはなんでそんなにいい子なの?いい子じゃないといけないと思ってる?」と本人に確認したところ「なんでいい子なのかわかんない」という返答。
自分が「いい子」なのはデフォルトのようです(^^;)
というわけで②は心配なさそうですが、①については正直なところよくわかりません。
「いい子」の具体的な基準はなく、数値として測ることもできないので(まさに「非認知能力」ですね)、「たぶんこれが功を奏したのだろう」とか「こういうことが共感できたのかな」くらいしかわかりませんが、ニャ娘とどのように関わってきたのか、振り返ってみようと思います。

なお、ここでの「いい子」を定義しておくと
・社会的な善悪を理解し、TPOをわきまえた言動ができ、そのうえで自分の意思にもとづいた判断ができる
ということです。
こう言うと非常によくできた子供のようですが、簡単に言えば「困っている人がいたら助ける」「ゲームの時間を守る」「宿題を先に済ませてから好きなことをする」「あいさつは元気よく」みたいなことです。
ね、いい子でしょう?(*´ω`*)
くれぐれも注意が必要なのが「親にとって都合のいい子」ではないということです。
したがって、「親の言うことをなんでも聞く」わけでは決してありません。
むしろ「それは納得できない!」と反論されることも多々あります。
私が人間的に欠如している部分もたくさんあるので(汗)子供に指摘されてはっとすることもよくあります。
私自身が「聞きわけのいい子」イコール「いい子」とは思っていないため、以下は私的見解に拠ることが多いですが、子供との関わりの一助となることが少しでもあれば幸甚です。

「自分は無条件で愛されている」と理解させること。愛を与えてくれる他者が多ければ多いほどいい

なにを置いても一番大切なことは「自分はかけがいのない存在」「どんなものとも比べることのできない、世界一大切な宝物」であることを子供自身が理解することです。
私見ですが、「あなたを大切に思っている」というのは、思っているだけではまったく伝わらないと思います。
いくら親子でもテレパシーで思いを伝送とかはできません。
ですから、きちんと言葉にして伝える必要があります。
あなたが生まれてきてどんなにうれしいか。
毎日一緒にいられることがどんなに幸せか。
我が家(というか私)の場合ですが、就寝時におふとんに入って「ニャ娘ちゃんはかわいいねー」「ママの世界一の宝物だよ」と眠りにつくまでささやきます。
これをやるとスヤァと瞬殺で眠ります。
保育園時代からずっとやっていますが、小さな頃は30秒くらいで寝かしつけ完了でした。
小学生の現在は
就寝前に絵本をひとりで読む⇒途中から私が読む係を交代⇒読み終わったら寝る
という流れになっていますが、とても寝つきがいいです。
入眠儀式みたいなものかもしれませんが、眠る前におだやかな環境を作るのは効果があると感じます。

また、寝る前に限らず、いいと思ったらその場ですぐにほめます。
他人がその場にいるときは、時間を置いてから改めてほめるのも喜びます。
たとえば、道を歩いていたらお年寄りが帽子を落としてしまい、それを拾って渡してあげたときや、ベビーカーを押している人に代わってドアを開けてあげたりしたとき。
その場でも簡単にほめますが、お風呂に入っているときや、食事中にこんなふうに話します。
「ニャ娘ちゃん、今日、おばあちゃんの帽子拾ってあげたでしょ。あれ、すごくやさしいなってママ思ったんだ」
「さっき、お店のドアを開けてあげたの、えらかったね。ママもニャ娘ちゃんが赤ちゃんのとき、たくさんの人が親切にしてくれてうれしかったんだよ。きっとあのお母さんもうれしかったと思うよ」
自分がしたことを具体的にほめられると、子供は自分の行動が「社会の役に立っている」と理解し、社会と自分のつながりを認識するようです。

小さな頃の思い出を話すのもとても喜びます。
ニャ娘はとても高い声で、あまりみかけないユニークな声です。
幼児の頃は本当にかわいくて、知らない人がわざわざ追いかけてきて「あなたの声かわいいわね!」と声をかけてくれたことが数回ありました(めっちゃビックリしましたが)。
そのことを話すと、うれしそうに聞いています。
本人は自分の声を動画などで聞いて「ニャ娘ちゃんの声、自分で聞こえるのと全然違ってあんまり好きじゃないの」と最近言うようになり、親の私としてはかなりショックなのですが(最高にかわいいと本気で思っているので笑)、他の人と違うということは「誰にもまねできない自分だけの武器」だと教えているので、できるだけユニークな部分を「いいこと」と印象づけるようにしています。

子供をほめるとき、愛を伝えるとき、重要なのが「相対的にほめない」ことだと思います。
「相対的」というのは簡単にいうと「ほかのなにかと比べる」ということです。
「○○ちゃんは××ちゃんよりお話を読むのがうまいね」のように他人と比べるのはもちろん、「言うことを聞く○○ちゃん」だけをほめるというのもNGです。
たとえば、片付けをきちんとしたときだけほめて、できないと怒る。
そういうことが続くと、「条件をクリアしないとほめられない」ことになり、「条件をクリアしない自分はいい子じゃない」ということになってしまいます。
我が家では親子でけんかもしますし、ニャ娘がよくないことをする場合に「それはよくない」と伝えることも当然します。
それでもニャ娘にはいつも「ニャ娘ちゃんがどんなことをしても、ママはニャ娘ちゃんが大好きだよ」と伝えています。
また、しつこいくらい「かわいい〜」「大好き」と言っているので(笑)、親から嫌われるかもしれないという不安はいまのところなさそうです。

我が家は私の母が近居なので、下校時のお迎えをお願いしています。
これは母の体力維持と責任感を持ってもらうことで老化や衰退を少しでも遅らせたいという意図でお願いしているのですが、親との関わりとは別に祖母から無責任に甘やかされるというのも子供にとってはある程度必要なのかなと感じています。
ふたりで帰ってくる途中、ニャ娘はスプラトゥーンの話を楽しそうに語るそうですが、私の母はさっぱり理解できないながらも「へえー」「すごいね」と相づちを打つそうで、「いまの話は別にすごくないんだよ」とか訂正されるらしいです(^^;)
このかみあわない会話もまた、ジェネレーションギャップの刺激を受けるのでいいかなと思って放置しています。

疑問や質問にはわかる範囲ですべて回答する。その疑問から社会や世界を知るきっかけを作る

子供が成長するにつれて「なぜなぜどうして」の嵐がやってきますが、できるかぎり回答するようにしました。
私があまりテレビが好きでないので(バラエティ番組苦手)、だいたいNHKニュースしか見ないのですが、ニュースを見ていると「いまのなに?」「どうしたの?」と聞いてきます。
デモなどの映像だと、たくさんの人が集まって大声を上げていたり、武力によって鎮圧しようともみ合いになっていることが多いので、いったいどうしたんだろうと驚くわけです。
4歳くらいからテレビを見て「どうしたの?」が始まりましたが、年齢的にわからないことでもできるかぎり簡単な言葉で説明しました。
「香港っていう島があって、そこで暮らしていた人たちがいままでは自由だったことを、急にダメってルールを勝手に変えられちゃったから、みんな怒って文句を言っているんだよ」
「国のルールを決めたり、お金の使い方を決めたりするのを政治っていって、政治がみんなのためにちゃんとしてないときは集まって文句を言うんだよ。そのことをデモっていうんだよ」
こんな感じで、幼児でもイメージしやすい言葉を選びながら話します。
ついでに「香港っていうのはここだよ、日本からけっこう近いね。飛行機だとどのくらいの時間で行かれるかな」など、世界地図を見ながら話すこともあります。
わからないと飽きて途中から聞いてくれなくなりますが(笑)、それはそれでよし。
少しずつ理解してくると、どんどん「どうして?」が増えていきます。

一番政治を説明しやすかったのがドナルド・トランプ氏が大統領だった頃です。
それはもう、ネタの宝庫というか、世界情勢や人種問題や温暖化、選挙や株などあらゆる事象について話題に事欠きませんでした。
私の視点で説明するのでやや偏りが生まれてしまい、ニュースでトランプ氏が映ると「あっ悪者のトランプがまたなにかやってるよ」と言うようになり、「悪者」と一概に断ずることもできないので、「悪とはなにか」といった簡単な議論もよくしていました。

世の中で起きていることを理解できるようになると、ニュースのなかの世界が自分の生活と密接にリンクしているということが感じられるようになってきます。
幼児や児童の場合、損得で判断するのが一番わかりやすいので「ニャ娘ちゃんたちの税金でこれやってるんでしょ?こんなのにお金使ってもったいない!」など憤慨したり、「給食が残るとみんな捨てちゃうんだよ、給食は税金じゃなくて父ちゃんがお金を払ってるんだから勝手に捨てちゃうのひどいよね」と怒ったり、まあたいてい怒っています。
政治は衆人環視によって成り立っているものですから、「自分たちの税金を有効に使っているか」を注視することは非常に大切なことだと思っています。
お金の話は小さな子でも理解しやすいので、積極的に家庭内で語り合っていってほしいと思います。

優先順位を「子供が一番」にする。できないときは理由を話して理解を得る。「あなたが一番大事」ということを伝えると同時に、「生活するうえで優先させるべきこと」「自分より弱い人を優先すること」の意味を教える

前述しましたが、「どんなときでもあなたが大好き」「一番大切」と伝えるとともに、子供からの呼びかけは優先度を高くしていました。
ニャ娘が私を呼ぶときは、なにをしていても必ず聞くようにします。
そのかわり、私やニャム夫へのお願いをするときに「ママお茶〜」とか「スプーン」などと言ったときには「ママはお茶じゃないよ」「スプーンがどうしたの?」と返すようにしています。
昭和の親父じゃないんですから「メシ」「風呂」は通じないし許されません。
「お茶が飲みたいならちゃんとお願いしないとわからないんじゃない?」とか「人にお願いするときどんなふうに言うんだっけ?」と促します。
我が家はニャム夫が食事全般を担当してくれるので、ニャム夫が食卓にごはんを並べてくれますが、「いただきます」の前に「ありがとう」も言うようにしています。
また、食べ終わったあとに黙っているときは「ごはんを食べたあとなんて言うんだっけ」と促します。
子供を優先順位の上位に位置づけはしますが、それが当たり前ではなく、他者からなにかしてもらったら感謝を伝えるのが当たり前のことと教えます。

子供の呼びかけを第一に優先しますが、当然できない場合もあります。
お湯を沸かしている最中やほかの誰かと会話しているときなどは「ちょっと待っててね、いま火を止めてくるからね」「いま○○さんとお話中だから、終わってからニャ娘ちゃんのお話聞くね」など説明して待ってもらいます。
具体的な理由を述べると子供もどのくらい待てばいいのかわかるので、だいたい待ってくれます(トイレに行きたいなど緊急の場合もあるので小さいうちは子供の様子をよく見てあげてください)。
我が家は私が100%在宅勤務だったので、就業中は遊んだりおしゃべりはできないと事前に伝えていました。
ニャ娘が学校から帰ってきたあとも終業までは「ママいま仕事してるからおしゃべりできないよ」と言い、緊急度の高いことだけ対応していました。

このような日常の「ちょっと待ってね」ということとは別に、子供より優先させるべきことと遭遇する場面があります。
たとえば、エレベーターを待っているあいだに人が多くなってきて、そのなかにベビーカーや車椅子、体の不自由な人がいた場合には「ニャ娘ちゃんとママは階段で行こうか。車椅子はエレベーターでしか行かれないから、先に乗せてあげよう」と言います。
自分よりも弱い人、肢体や視覚、聴覚などが不自由な人を優先させるのは当然ですが、なにも知らない子供にとってはどうして「当然」なのかはわかりませんから、具体的に説明してあげる必要があります。

ちなみに幼児期の子供同士の貸し借りについては、我が家ではほぼ経験がありませんでした。
よく、児童館などで知らない子とおもちゃの取り合いになると「かーしーて」「どーうーぞ」みたいなやりとりをさせますが、私が人見知りなのでママ友ゼロ、児童館でも知らない人とは一緒に遊ばない、という具合だったので、「かして」「どうぞ」の現場に立ち会うことがほとんどありませんでした。
たまにそういった状況になるときもありましたが(むこうからグイグイ来る)、ニャ娘は自分より小さい子にはとてもやさしいのですぐ「いいよ」と貸してあげ、同じくらいの年齢か年長の子に対しては私が時間を見て「いま遊び始めたばっかりだから、あと10分したら交代しようか」と言ったり、「このおもちゃでいっぱい遊んだから、もう少ししたら代わってあげようね」などと話していました。
これはかなり偏った私見ですが、「かして」「どうぞ」のやりとりで思いやりとか譲り合いの気持ちが生まれるとはあまり思えず、それよりも大きな声で「かしてかして」と騒いだもん勝ちのような気がしています。
なぜかというと、譲り合う両者がともに小さい子供だからです。
譲り合いの意味がわかっていないので、「親に言われてやってる」だけで終わってしまいます。
それなら、社会に出て大人相手に「どうぞ」したほうが本当の「ありがとう」が返ってくるので、「譲る」ことの意味を実感として理解できるのではないかと思っています。

あいさつはなぜ大切か?「笑顔で元気よく声を出すだけでみんなから好かれる」「タダでできるのに得をする」から

子供はよく大人から「元気よくあいさつをしましょう」と強要されますね。
そう言う大人ほどたいしてあいさつしてないだろうと思うのですが、我が家の通う小学校でも3大目標のひとつが「元気にあいさつしよう」です。
毎朝ニャ娘と一緒に学校へ行っていますが、子供は誰もあいさつしていません。
入学してしばらくは「ここまであいさつしないとは」と驚くほどでした。
目標全然達成できてないじゃんと思いましたし、校長先生も「なかなか元気にあいさつできる子がいません」と嘆いていました。

あいさつは、一朝一夕に身につくものではありません。
私はニャ娘にしつけや教育らしいことをあまりしてきませんでしたが、あいさつだけはしつこく教えてきました。
うんと小さい頃、おしゃべりができるようになった2歳くらいからあいさつするよう声かけをしてきました。
バスを降りるとき、運転手さんに「ありがとうございました」と言う。
知っている人に会ったら「こんにちは」と言う。
お店で買い物したら、「ありがとうございました」と言う。
保育園で「おはようございます」「さようなら」を言う。
小さな子が元気よくあいさつすると、された大人はとても喜びます。
まず、無条件にかわいいんですよね。
「かわいいー!」「おりこうさん」「いい子だね」とほめられます。
ただ元気よくあいさつしただけでほめられるなんて、簡単でうれしいですよね。
さらに私はこんなふうに教えていました。
「ニャ娘ちゃんの声がとってもかわいいから、みんなニャ娘ちゃんがあいさつすると幸せな気持ちになるんだよ。ニャ娘ちゃんがみんなに元気をあげているから、みんな喜ぶんだよ」
自分があいさつするとみんなが笑顔になる、というのは小さな子供でもわかるようで、ニャ娘は喜んであいさつするようになりました。
これをしつこくしつこく、何年もかけて教えてきた結果、どこへ行っても元気よくあいさつする子供になりました。

あいさつは、そのうち身につくようなことではありません。
子供がはきはきと自分からあいさつするというようなことは、残念ながら日本国内ではないだろうと感じます。
国民性というのか、他人に無関心で大人同士があいさつすらしないような社会で、どうして子供があいさつを身につけるでしょうか。
あいさつをすることによって受けられるベネフィットは、「周囲の人と良い関係を築く」ということです。
元気にあいさつするだけで、タダでみんなから好かれるなんて、とってもお得なことなんです。
ニャ娘は誰にでも元気よくあいさつするのが「常識」として身についたので、学校帰りに交差点で旗振りをしてくれている高齢女性と仲良しになりました。
旗振りのおばちゃんはニャ娘のあいさつに「いつも笑顔をありがとう」と言ってくれます。
あいさつが、地域社会の見守りへと広がっているのを実感します。
親として、自分の子供が地域で複数の大人に見守られているということは、大きな安心ではないでしょうか。
子供は自分が得することが大好きですから、「あいさつは得をする」ということを説明すれば元気よくあいさつするようになります。
また、これも国民性かもしれませんが、日本で暮らしているとシャイで消極的な空気に染まり、なにか行動を起こすことを「恥ずかしい」と感じ、他者と関わろうという積極性が生まれにくいように感じます。
前述しましたが、大人がしないのになんで子供だけあいさつしろって言うの?と子供は思っています。
根気よくあいさつを教えていくことと同時に、子供の手本として自分自身もあいさつや周囲への関わりに積極性を持つことが大切ではないかと思います。




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このように試行錯誤しながらも、ニャ娘とニャム夫と私の3人4脚でやってきました。
どれも難しいことなく、お金もかからず、簡単にできることばかりだったでしょう?
私自身、ものすごい努力してなにかしたという感覚もありません。
ただ、目の前の子供としっかり向き合うこと、ごまかしたりうそをつかないこと、子供が納得するまで話し合うこと、そういったことに注力してきたように思います。
そのなかで意識してきたことは「ステレオタイプにならない」ことでした。
なにかを問われたとき、私の回答は私の観点によるものであり、それが正解かどうかはわからないこと、別の観点では別の回答が導き出されることもある、つまり世界は多様であるということを常に意識して話すようにしました。

自然界のドキュメンタリーなどを見ていると、ガゼルの子供がチーターに追いかけられて食べられてしまう場面で、「小さな赤ちゃんが食べられてかわいそう」という見方が出てきます。
でも、それは「ガゼルの物語」であり、チーターに視点を向けると別の物語が立ち上がってきます。
たとえば、チーターには小さな赤ちゃんがいて、この狩りが失敗したらチーターの親子は飢え死にするかもしれません。
その様子を先に見ていたとしたら、チーターが狩りに成功した映像を見て「やった、よかった」と思うかもしれません。
「チーターの物語」では、ガゼルの子供が食べられてしまうことは「かわいそう」なことではありません。
そしてそれは、どちらも間違っていないのです。

ステレオタイプにならないということを生活のなかで実践するうえで、ニャム夫の役割はかなり重要だと思っています。
我が家はニャム夫がごはん担当で、食材の買い出しから調理、食器洗いまですべてやってくれます。
ニャム夫が出張のときは数日分の食事を作って冷蔵庫に入れておくという徹底ぶり。
私は冷蔵庫の中になにが入っているかまったく知りません。
100%完璧にごはん担当の夫というのは、まだ日本ではあまり多くないのではないかなと思います。
ニャム夫が料理好きということと、私が料理に興味がない(やればできるんですよ、いちおう)ことで、ニャム夫が担当を申し出てくれました。
ニャ娘が生まれてからは離乳食もすべてニャム夫の手作りです。
運動会のお弁当もニャム夫がもちろん作ります。
私なんかたまにお湯を沸かすくらいのもんです。
こういう家庭で育つと、「おふくろの味ってなに?」ということに当然なります。
ファミマの「お母さん食堂」が話題になりましたが(私も個人的に「母の手作り」みたいなものを強調するものはうんざりします)、「料理は女がするもの」というステレオタイプは我が家では完全に「おかしい感覚」です。
「母親が料理する」という姿を見ていないので、ニャ娘も料理に興味がありません。
将来、彼氏に「手作り料理が食べたい」とか言われたら「はぁ?」ってなるんだろうな(^^;)
料理好きの男の子をつかまえるのかな〜。
これからの時代は「料理する男」が絶対モテると個人的には思います(^^)b

世界は多様であること、自分と違うことはあって当たり前だということ、自分の「当たり前」を他人に強要しないこと、それを教えていくことによって社会や他者に対する寛容さが生まれるとともに、多様な環境に対応できる柔軟さとたくましさが身につくことを期待しています。

仕事が忙しかったり、兄弟姉妹が多かったり、我が家のようにのんびり育児する余裕のないご家庭もたくさんあると思います。
私自身、仕事が忙しく頭の中が仕事でいっぱいになってしまうことが多々あり、それが原因でイライラしたり子供とじゅうぶんに向き合ってあげられなかったこともありました。
ニャ娘は自我が強く、絶対に自分を曲げないので「育てやすい子」というわけではありません。
1歳半から2歳くらいまでは自分の言いたいことを汲み取ってもらえないと怒ってかんしゃくを起こしていたので、とにかくニャ娘の言うことを全身で聞き取っていたように思います。
伝わらないもどかしさやかみ合わないいらだたしさを互いに抱えながらも、あきらめずに歩み寄りを続けてきました。
小さなことでも子供のいいところを見つけてほめてあげること、頭をなでたりギュッとしたり、日々のなかでできることを少しずつ積み上げて「世界一のいい子」が育っていく様子を楽しく見守っていこうと思います(^^)