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BOOK

その人工弁開発は悲しみと悔悟の記憶から始まった--ロケットから人体へ。佃製作所が医療現場で新たな挑戦

下町ロケット ガウディ計画
池井戸潤:著
小学館文庫

あらすじ

東京・大田区上池台の町工場、佃製作所は中小企業ながら国産ロケットの部品供給という大口受注を請け負っている技術者集団。
社長の佃航平はロケット研究の第一線から町工場の経営者へと転身し、試行錯誤しつつも会社を盛り立ててきた。

ある日、佃製作所におかしな依頼が舞い込む。
日本クラインという大手メーカーから新規で発注依頼されたのは、小さなバタフライバルブの試作だった。
しかしそのバルブがなにに使われるのかは明かせないという。
なんの部品かわからないまま開発することに不満を覚えながらも、大手企業との新規取引が生まれることへの期待をかけて、この開発を受けることに。

一方、ロケットのバルブ供給先である巨大企業、帝国重工から厳しい報告がもたらされた。
現在納入しているバルブをコンペで決定するというのだ。
コンペに名乗りを上げたのはサヤマ製作所という中規模の会社で、社長の椎名はNASAで経験を積んだという強者である。

そんななか、かつて佃製作所に勤めていた真野から、ある事業の共同開発を依頼される。
心臓外科で名高い一村という医師とともに、心臓の人工弁を開発するという事業だ。
<ガウディ計画>と名付けられたその事業にいまひとつ乗り切れない佃たちだったが、開発チームのメンバーである桜田から事業へかける思いを聞いて心が動かされる。
桜田が「罪滅ぼしなんです」と語り出したのは、悲しみと悔悟の経験だった。

ニャム評

私の大好きな小説家、池井戸潤氏の代表作のひとつである「下町ロケット」シリーズ2作目です。
前作でも力強く言いましたが、とにかく痛快!
なにも考えずにページを繰るだけでオッケー!
たちまち物語に没入して、佃たちと一緒に怒ったり泣いたり快哉を叫んだりすること間違いなしです。
まだ1作目を読んでいないというあなたは、まずこちらを読んでみてくださいね。
前作からのストーリーをきっちり活かしているので、2作目から読むともったいないです。

スカッとしたけりゃこれを読め!
金融小説の雄・池井戸潤が放つ勧善懲悪痛快ワールド
「下町ロケット」

本作のキャッチコピーは「ロケットから人体へ」。
ロケットエンジンのバルブ開発という物語から、今回は心臓に関わる部品に挑戦します。
医療工学は動作環境によっては重大事故や死亡事故につながるため、慎重な日本の企業は手を出したがらないという実情もあるようです。
佃たちも賠償問題などのリスクを懸念して開発には後ろ向きだったのですが、共同開発者である桜田の言葉によって心を動かされます。

耐えがたい情念に突き動かされ、為す術もなく突っ走る。そうせざるを得ない、駆り立てられるような動機というものがあったとは。
(第二章「ガウディ計画」より引用)

桜田は悲しい出来事をきっかけに、心臓疾患に苦しむ人々を助けたいという強い思いが生まれました。
心臓の人工弁は医療器具のためリスクは高いけれど、社会的意義が高く需要も見込めるということで、佃たちは未経験の分野へと足を踏み入れることにします。

この人工弁が儲かるらしいと聞きつけたのが、一村の師匠であった教授、貴船というオジサンです。
貴船は大学内で強大な権力を身につけ、いずれは学長の座を手に入れようと目論む野心家。
現在手がけている人工心臓「コアハート」の開発が思うように進まず、資金面で苦労するなかで、一村が心臓の人工弁を開発しようとしていることを知ります。
もともと人工心臓「コアハート」の開発も一村の素案だったものを貴船の名前で世に発表し、弟子の成果を横取りしたという姑息な経緯がありました。

貴船は一村から人工弁も横取りしようと近づき、さらにあらゆる手を尽くして一村と佃たちの人工弁開発を阻止しようとします。

池井戸作品には必ず悪役が登場しますが、今回は物語のベースが医療機器開発であり、人間の命に直結する心臓がテーマとなっているため、「医療とはなんのためにあるのか」という根源的な問題提起に深く考えさせられます。
医療の現場で行われている権力争いや派閥闘争。
それらはいったいなんのために、誰のために行われているのか。
医療とは、目の前で苦しむ患者のために尽くす手立てではなかったのか。
大学病院という巨大な組織に埋もれ、いつしか目的を見誤っていた人々が迷走した末に見たのは、最悪の結末でした。
すべてが瓦解していくなか、利権や名誉に溺れた貴船たちがそのがれきのなかから再び立ち上がる姿も思いがけず胸を打たれます。

貴船がより高い地位を求めたのには理由がありました。

苦手な上司、苦手な顧客、苦手な同僚--。
どれもが、組織で働く以上、避けて通れない通過儀礼のようなものだ。
それを克服するもっとも簡単な方法が自らの出世であるということに貴船が気づいたのはいつの頃であろうか。
地位や立場で見え方も考え方も変わる。それが、組織だ。
地位とは、視野であり、視点の高さである。
(第一章「ナゾの依頼」より引用)

池井戸作品ではお決まりの悪役の立ち回りに毎度ムカムカさせられるのですが笑、旧作品では悪役がきっちり罰を受けることに留飲を下げるような読後感があったものの、悪役もひとりの人間。
そう思うと、物語が終わっても彼らの人生は続いているわけで、つまづき倒れたあとに再び立ち上がる姿が描かれるのは希望を感じました。
こういった、登場人物の成長もシリーズものを読む醍醐味ですね。
いつかまたどこかで、心を入れ替えた「悪役」たちが物語をにぎわせるのではと想像したりします。

佃たちは地道な作業を積み重ね、コツコツと仕事や信頼を積み上げていく技術者集団です。
世間の耳目を集めるような華やかさはないけれど、自分ができるせいいっぱいの努力で高みを目指し続ける姿は、読者の心に静かな感動を与えます。
真面目でやや不器用な佃の言葉は、しかし普遍的だからこそ、どんな人の心にも強く響くのです。

「今時誠実さとか、ひたむきさなんていったら古い人間って笑われるかも知れないけど、結局のところ、最後の拠り所はそこしかねえんだよ」
(第十章「スキャンダル」より引用)