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つぶやき

育児の一番の問題点は「他人と比べること」。たったひとりの子供と向き合う方法は、やっぱりひとつしかないはずなんです

Hello world!
あなたの心のおとなりさん、ニャムレット(@nyamletblog)です。

昨日の日記でちょっと思い切ったことを発言しましたが、育児に関する言及はどんなに言葉を尽くしても誤解を生むので、少し補足みたいなことを。

前提として、育児は子供や家庭によって違うので、正解は厳密にはないものだと思っています。
子の特性もそれぞれ違うので、伸ばすべき特長が違えば接し方も変わってきます。
ついつい育児書とか読み漁ってしまいますが、私がこれまでに読んだ育児書に書かれていたことはほぼ知っていることでした。
とくに目新しいことが書いてあるわけでなく、明日から即実践しよう!みたいなトピックスもありません。
育児書の良い点は、自分がやっていることの答え合わせみたいなことでしょうか。
私は育児書で推奨されていることをだいたいやっているので(ごく普通のことだと思います・・・)、安心を得るために読んだようなものでした。

そんなわけで、育児とは一言に語れないことであって、他者がこうすべきだとか言えることはないんですよね。
それで、昨日のイクメンに話を戻すと、結局、あれって男同士のマウント合戦になっているんです。
自分でもなぜモヤっとするのかわからなかったんですが、いろいろ考えて気づきました。
「オレってこんな育児やっててすごい」
「おむつ替えたくらいでイクメン気取るな」
と言う人って、他者を引きずりおろして自分を高みに置きたい願望があって、育児マウンティングしているんですよね。
なんかそれ見たことあるなと思ったら、女性同士でも同じことやってるんです。
母乳だけで育てた人がミルク育児を批判する。
保育園へ子供を預ける母親を非難するアホな三歳児神話。
もっとさかのぼれば、無痛分娩の批判とか、女性のマウント合戦ははるか昔から繰り広げられてきました。
最近は男性も育児マウント始めたんですね。
承認欲求がこんなところにまで波及しているのか・・・

育児マウントほど空しくみっともないものはありません。
子供と保護者が違うのに、育児を画一的に語ることはナンセンスです。
家庭によってルールがあり、家族が納得して幸せでいればそれが正解です。
だから、妻が大黒柱で夫が家事育児を100%やる専業主夫も育児しているし、忙しくて子供の寝顔しか見られないお父さんが、子供の頭をなでることも育児なんだと思うのです。
風呂に入れたら10点、オムツを替えたら20点、とかそんなばかげた基準なんかあるわけがない。

男性に育児を勧めるとどうしても、やっていないことへの非難みたいに聞こえてしまうのですが、どれだけやったかというのは重要ではないんですよね。
先述しましたが、頭をなでるだけでも育児だと思うんです。
妻から見た「夫の育児参加」のポイントは、「能動的であるか」じゃないかと思っています。
頼まれるまで待つんじゃなくて、「オレもやる」と自分から参加することで育児への積極性を感じるのではないかと。

手前みそで恐縮ですが、我が家のニャム夫は料理担当で、100%やってくれます。
私はコメすら研ぎません。笑
忙しいのに悪いなと思って何度か手伝いや分担を申し出ましたが、「別にいいよ~」とのことでした。
料理が楽しいんだそうです。
やらされているのではなく、自分の役割と思ってやっているんですよね彼は。
その積極性は本当にありがたく、そこに私は絶対的な信頼と感謝を持っています。
我が家の健康はニャム夫によって形成され、ニャム夫の食事によってニャ娘は育っています。
そういうわけで、我が家では夫のほうが育児の比重が大きいと言えます。
離乳食も全部作ってくれました。
私は会社に行ってヘラヘラして、帰ってきたらニャ娘とくっついてきゃあきゃあ言ってるだけですから。笑

さすがにニャム夫みたいな父親は日本では少ないかと思います。
そして、それをやっているから正しいわけでもありません。
単身赴任で物理的に会えない状況だってあるわけですよね。
時間的制約があって子供と触れ合う時間が少ない場合、育児に関わるには知恵と工夫が必要です。
私がおすすめするのは、子供との往復書簡です。
交換ノートを作ってもいいし、毎日メモを残すのでもいい。
子供が起きている時間に関わりを持てなければ、メッセージを残しておくだけでも気持ちのやりとりができます。
そして、大好きなお父さんからの手紙を読みたくて、子供は文字の読みかたをおぼえ、お返事を書きたくて書きかたをおぼえます。
溜まった書簡はそのまま、親子の思い出となります。
私はニャ娘から手紙をよくもらうのですが、ファイリングして保管しています。
2歳ごろから書き始めた絵や手紙を一緒に見返して、こんなにお姉さんになったんだねと、家族三人で笑っています。
折り紙が便箋のかわいい手紙は、見ているだけで涙が出るくらいうれしい贈り物です。
あんまりひんぱんにくれるので笑、小さなジップ袋に入れてパスケースにも入れて持ち歩いています。
会社で仕事がつまんないときに読み返したりしています。笑

ニャムレットの晴耕雨読

蛇足でありますが、私自身は父親が戸籍上に存在しながら家庭にはいないというおかしな環境で育ってきました。
いまどこにいて、まだ健康で過ごしているらしいことも知ってはいますが、ただそれだけです。
父の不在の理由はよくある事情でここでは割愛しますが、母がえらかったのは、子供に父の悪口を決して言わなかったことです。
おかげで私たち姉弟は実父を恨んだり憎んだりすることなく、精神的に比較的健やかに育ったのではないかと思います。

この経験により私が知ったのは、「お父さんはいなくても別に困らない」ということです。
ありがたいことに金銭的な困窮を強いられることもなく、貧しいながらも一般的な生活をさせてもらっていたので、お金の問題さえクリアすれば、子供は父親がいなくても育つものなんですよ。
でもそれって、すごく悲しいことじゃないですか。
お父さんは結局財布なのか。
これは、とくに日本の男性は必死で変えていくべきではないかと思っています。

血のつながった実の父ですが、彼がなにを考えて生きているのかさっぱりわからないし、価値観や感じかたなどもなにひとつ合わないと思っています。
私から見た実父は宇宙人レベルでなぞの人です。
まったくなぞの人物ですが、実家の不動産名義が父なので、知らないうちに死亡して名義変更ができなかったらまずいので、たまに戸籍の附票を取って生存を確認しています。
こうなってくるともう、迷惑の対象になってくるんですよね。
実の父が迷惑の対象。
私は自分をさほど不幸とは思っていませんし、そんなに苦労したりみじめな思いをした記憶もありません。
でも第三者として私の生い立ちを見たら、やはり「かわいそうな子」だと思います。
こういう不幸を生まないためには、やはり家族のひとりひとりが相手へ思いやりを持ち続けることが大事なんだろうと思っています。
子供は両親双方を見ていて、なにが問題だったのかはなんとなくわかりますから。

蛇足が長くなりましたね。

育児と言っても期間によってさまざまですが、私のうれしかった思い出は生後三か月ごろです。
それまでふにゃふにゃだった赤ちゃんが、抱っこしたときに初めて自分からしがみついてきたとき。
小さくて弱い力で、でもぎゅっとくっついてきたときに、言葉にできないようなうれしさを感じました。

あんなに小さかったニャ娘もいまでは小学生に間違われるほど大きくなりました(まだ5歳)。
そろそろバスで年齢詐称を疑われないかとヒヤヒヤしています。笑
ありがたいことにいっさい病気をせず、小児科へ行くのは予防接種のときだけという超健康優良児に育ってくれました。
新生児と乳児のころは本当につらかったけれど、それも過ぎればいい思い出です。
どうぞ、かわいい子供との思い出をたくさん作ってください。
その思い出作りこそが、育児であると私は思っています。