BOOK

「育てにくい」「思い通りに育たない」子供の特長を見つけて伸ばす。AIやロボットが活躍する時代に活躍する子供たちの「最先端の育児」とは

育てにくい子は、挑発して伸ばす
中邑賢龍:著
文芸春秋

あらすじ

東京大学と日本財団の共同事業として始めた「異才発掘プロジェクト ROCKET」のディレクターを務める著者が、ROCKETに集まったユニークな子供たちとの関わりを通して得た実体験を織り交ぜつつ、「集団生活になじめない子供への教育」「ロボットやAIの技術が進化する社会でどう子育てをしていくか」などを幅広い視点から読み解く。

第一章では、「思い通りに育たない」子供とどう向き合うかについて具体例とともに解説。
さらに第二章では、読み書きが苦手な子供に対し、身近なテクノロジーを教材として取り入れることで飛躍的に学習が進む可能性を示唆し、問題の解決へと導いている。
そして第三章では、20年後、30年後の社会を見据えながら子供たちがどのように学び成長していけばいいのかを提案。

「育てにくさに悩まず、その子の凹凸を個性として伸ばす」ヒントが詰まった最先端の教育メソッド。

ニャム評

パッと表紙を見たとき、学力を伸ばすための教育関連本なのかなと思っていました。

「東大」の看板つきなのでてっきり学力系の本かと・・・

実際には、「異才発掘プロジェクト」を運営している著者が、いわゆる「育てにくい子」とどう向き合うかを指南する育児書でした。
学習のハウツー的な内容はほとんどなく、個性の強い子供とどう向き合っていくかを多くの経験談や具体例とともに語っています。
結論から申しますとたいへん興味深く面白い本だったのですが、この表紙とタイトルで育児書とは思われないのではないだろうかと、そこはちょっともったいないような気がしました。

第一章では、「ああ言えばこう言う」というような、一筋縄でいかない子とどう接するかのヒントが記されています。
母親はおそらく子供に対して「自分と同じ思考」または「一般的な思考・常識」を求めているのではないかと個人的には感じます。
そして我が子にその「思考・常識」がない場合、「空気を読まない・察しない」ことに対して「育てにくい」と感じるのではないかと。
「このくらいわかるだろう」というあいまいさが子供には伝わっておらず、親の言うことを理解できていないのに、「言うことをきかない」という認識をされてしまう。

そこで、著者の中邑さんはこうアドバイスしています。
たとえば「座りなさい」ではなく、「赤い椅子に座りなさい」。
「ちょっと待って」のかわりに「3分待って(もしくは「時計の長い針が6になるまで待って」など)」と明確な時間を示す。
言葉で指示するより、紙に書いて指示する。
などの具体例が挙げられています。

成長過程の子供はワーキングメモリー(一時的に情報を貯えて処理するための記憶容量)が小さく、大人の脳の情報処理とは異なるそうです。
そのため、一度にたくさんのことを言っても子供はすべてを聞き取るのが難しいのだそうです。
自分にできることが子供にもできると思ってはいけません。
養育者は、子供が自分と同じだと思わず、子供の特徴をしっかり捉えて向き合わなければならない、つまり「子供と向き合うのに手抜きをするな」ということなんですね。

また、学校で「友だちと仲良く」を大人が強要することにも中邑さんは難色を示しています。

私は何かを1人で続けていれば必ず、他の子どもとは明らかに違う、突き抜けたユニークさが身につくと思っています。
大人になれば、そのユニークさを利用したい人が向こうからやってきます。
こちらから仲良くしようとアプローチしなくても、みんなと仲良くするのが得意な人がやってきて、仲間になります。(中略)
彼らは小さな学区の中だけで生きると孤立しますが、もっと広い世界に出れば、仲間がたくさんできます。(中略)
友達作りに無駄なエネルギーを使って、かえって傷つくことがないようにしたほうがいいのかもしれません。

「誰とでもみんな仲良く」はなぜか美徳とされ、子供はしばしばこれを強要されますが、私自身は「みんな仲良しなんてできるか」という子供だったので、この同調圧力には辟易しました。
蛇足ですが、私は小学校、中学校とあまりにも友だちが少なかったので、学校での記憶がほとんどありません。
まあつまらなかったですね。笑
高校では部活動一筋で青春を捧げましたが、クラスメイトとはまったく口をきかず、休み時間はずっと本を読んでいました。
あまりにつまらないので授業はとなりの公園でさぼって、放課後になると部室へ行くという非常に不真面目な生徒でした。
でも、なんだかんだ苦労しつつもわりと大きな会社で職員として就労し、やはり数少ないけれど大切な友人もいます。
クラスで人気者になれなくても、自分の好きなように生きていけると知っているので、中邑さんの考えはとてもよくわかります。

第二章は、ある部分が不得意な子供にICT機器を与えることで勉強の進み具合がグッと変わるということについて提案しています。
ICTとは、Information and Communication Technologyの略で、パソコンやタブレット機器で読み書きの代用をするというものです。
発達の違いにより、文章を読むことが苦手だったり、漢字や文章を書くことが苦手な子供がいます。
それを中邑さんは視力に例えてこう言います。

眼科領域でいう視力は、矯正視力のことで、裸眼視力は問題にされていません。
それは目の悪い人が眼鏡やコンタクトレンズで矯正するのは社会的コンセンサスが得られているからです。
残念ながら知能に関しては裸知能が当たり前で、矯正知能は認められていません。
困難を抱える子どもたちには、ICT機器で能力の肩代わりをするのが一番です。
すると、彼らは自分の頭が悪いと感じて、劣等感に苦しむ必要はなくなるでしょう。

文章を読むのが苦手なだけで、問題自体は解けるのに、その前の「問題を読む」ことでつまづいてしまう。
すると、現在の学校教育では「勉強のできない能力の低い子」と認定されてしまうわけです。
学びの場に電子機器を持ち込むことを良しとしない大人(とくに現在の中年以降の世代)は多いだろうと感じます。
しかし、いまどき会社でそろばんを使って帳簿をつけている人はいません。
事務処理にパソコンを使っているのに、学校ではダメというのもそろそろナンセンスであろうと思います。

読み、書き、計算などの補助として電子図書やワープロ、ICレコーダーなどが挙げられているほか、感覚が過敏な子供のためにノイズキャンセリングヘッドホンやサングラスなども列挙しています。
こういったことをもっとたくさんの人が理解するようになれば、もっと生きやすい社会になりますね。

そして第三章では、20年後、30年後といった、いまの子供たちが活躍する時代にどう生きるかを見据えた教育が語られています。
難関大学合格や英語スキルを磨くことが本当に将来の役に立つのか?
発達障害といわれた子供に薬を飲ませ、ほかの「みんな」と合わせることが正しいことなのか。

服薬に関してはケースバイケースですから一口に語れることではないですが、多動などがある子供は学校の先生から服薬するよう指示されることもあるそうです。
もちろん教室内の秩序が崩壊するほどの事態は問題ですが、我が子の特徴を薬で抑えてまでクラスに合わせなければならないのか・・・
実際にそうなったとき、非常に悩むと思います。
児童精神医学の専門医が足りていない現状を中邑さんは危惧し、かかりつけ医だけでなく投薬に長けた医師をセカンドオピニオンとして見つけることも有用だと述べています。

そして、定型発達や矯正に力を入れすぎるあまり、子供の心が傷ついたり疲弊してしまうよりも、その子自身の特長をよく見極めて伸ばすことに注力すべきだといいます。
学校のルールにどうしてもついていけなければ、学校に行かなくでもいい。
教科書だけが学びのツールではない。
大切なことは、我が子がどう生きていくか、そのためにどう学び成長していくかを養育者が子供と一緒に真剣に模索することだろうと思います。

「学校に行かなくてもいい」というような発言を聞くと、ギフテッドのような特別な子には学校は不要と都合よく考える人もいますが、その点についても中邑さんは語っています。

科学の先端を学び、探求するためには、総合的な知識が必要です。
何かを極めるプロセスで、周辺の事柄も勉強すればいいと簡単に言う人もいますが、実は、その勉強をするためには基礎知識の体系化された積み重ねが必要なのです。(中略)
学校の勉強では、個人の興味の有無に関わらず、幅広く体系的に学ばされる。また時間を設定して競争させられる。
これが実は重要であることを、私は否定しません。

私はこの一文を読んで、なぜ勉強しなければいけないのかを非常によく理解できました。
だいぶ大人になってからの理解なのが残念ですが。笑

中邑さんは本書のおわりにこう記しています。

AIやロボットが人間の仕事を奪うという予測が出るなど、急速な社会の変化は将来を見通せないものにしています。
その中で、どのように子どもを育てるのがいいのか悩んでもいい時代だと私は思っています。
しかしまだまだ多くの人は、子どもが大人になる頃に社会や産業の構造、人々の暮らしに大きな変化が起きているなど想像できないようです。
子育てを支援するビジネスは拡大しており、ICTを活用すれば様々な情報を家にいながら簡単に入手できます。レベルの高い大学を目指すと決めれば、そこには様々な教材や塾が用意されていて、どんな子に育てようかと考えなくても前に進んでいけます。
ほとんどの子どもたちはその受験ラインに乗って成長していくと言えるでしょう。

残念ながらユニークさの強い子どもはなかなかそのラインに乗れません。
そのため子どもの将来に悩むお父さん、お母さんも多いのではないかと思います。
でも見方を変えればそういったラインに乗せることが果たして唯一の道なのでしょうか。
今の受験ラインに沿った知識を習得した子どもたちが、AIやロボットが幅を利かすであろう、20年、30年後の未来社会を生き抜いていける保証はありません。(中略)

子どものユニークさ、育てにくさで苦しまないでください。
むしろ楽しんでください。
ユニークさは宝です。その宝を大切に育てていきましょう。

自分の子供が「普通じゃない」「育てにくい」を感じたとき、マニュアルのない育児は「楽」ではないかもしれません。
しかし、世界でただひとりの大切な我が子は、ほかの誰かと比べたり、同じように育てる必要がないんだと、この本は気づかせてくれます。
まわりのことはあまり気にせず、その子だけを真剣に見て、その子にとって一番いいと思える接し方をしていかれるのは、一番そばにいる養育者にしかできません。
本書にあるとおり「苦しまず」、「楽しんで」一緒に成長していきたいですね。

東京大学と日本財団の共同事業「異才発掘プロジェクト ROCKET」には、ロボットクリエイターの高橋智隆さんや、アーティストの鈴木康広さんなど幅広い分野で活躍している人たちとともに学ぶ環境があります。
学校と同義での「子供の学びの場」と思うと違和感があるかもしれませんが、それは小学校で鉛筆を使って勉強している時代から見た違和感であって、20年後(いや、数年後かも)には授業でタブレットを使うのが当たり前になっているかもしれないと想像すると、「ROCKET」はこれからのスタンダードかもしれない風景を見せてくれます。
もちろん体系的な勉強も無駄ではないでしょうが、「これからの時代」を子供と一緒に想像するのも楽しそうです。