つぶやき

ライブハウスやフェス、イベントの現場で働くにはどうしたらいいか。舞台照明、音響、大道具の会社に就職する方法と業界のあれこれを教えます

Hello world!
あなたの心のおとなりさん、ニャムレット(@nyamletblog)です。

音楽大好き!ライブ大好き!
それが仕事だったらどんなに楽しいだろう、そんなふうに夢見るキッズはいまも多いのでしょうか。

私の初めての就職は舞台照明でした。
ライブハウス、アリーナ、武道館などで行われるコンサートの照明がメインで、そのほか砂浜の砂像に光を当てる仕事や花火大会会場ステージの仕事なんかもありました。
数年しか続けられませんでしたが、実際に就労してみて知ったことや、どのように業界へ就職するのかなど、コンサートスタッフを目指したいと考えている学生や保護者のヒントになればと思い、あれこれ綴ってみます。
かれこれ四半世紀くらい前のことなので、いまの現場がどんなものかまったくわかりませんが、基本的な環境は変わっていないだろうなと思いますので、ご参考までにどうぞ。

コンサート会場で働きたい、それだけでは大雑把すぎますね。
大きく分けると企画制作と舞台制作に分かれるのではないかと思います。
企画制作はコンサート、ライブ、催しを文字通り企画する仕事で、いわゆるプロモーター、イベンターなどの仕事になります。
スケジュールを組み、会場のブッキングやチケットの金額、プレイガイドとのやりとりなど事務的な内容がメインではないかと思います。
この仕事に関しては門外漢なので、割愛します。
プロモーターさんと一緒に仕事現場にいたので、イメージとしては「ややチャラいおっさん」が多い印象でした。笑
催しの当日はすでに業務がほぼ完了しているので、現場にいるだけという感じで、業界のウラ話や噂話をよく聞かせてくれました。
ちょうどフリッパーズ・ギターが解散した頃で(年齢がわかりますね笑)、解散の理由をペラペラしゃべっていたのが強烈な印象として記憶に残っています。
「ほんとによぉ、これからツアーだってときに〇〇〇〇でさぁ、全部台無し」と、そのプロモーターさんはグチのオンパレードでした。
まだ若く、パーフリ大好きだった私は目玉パチクリで震えていましたが、いま思い出すとあのふたりらしいというか、解散の理由になんだか笑えます。
本当かどうかはわかりませんけどね。

さて、もう一方のお仕事、舞台制作ですが、こちらもその名の通り、舞台を作る仕事です。
私はこちら側の人間でした。
舞台制作は音響、照明、大道具が基本です。
音響と照明は別の会社で、催しがあるとそれぞれ依頼を受けて現場へ向かいます。
ニッチな業界なので別会社とはいえセットで呼ばれることが多く、仲良しの音響会社と一緒に仕事することが多かったです。
私は舞台照明の会社でしたが、よく一緒に仕事する音響会社に専門学校の同級生がいて、なんとなく心強かったです。
彼はめちゃくちゃ仕事ができて私は落ちこぼれだったので、現場でいつも怒られる姿を見られるのはかなり恥ずかしかったですが。。。

この業界への入り口ですが、やはりニッチな世界なので、ある程度入り口は限られています。
もっとも手っ取り早いのは専門学校へ入学することでしょう。
ここでやや辛口な批評を述べますが、専門学校へ入学するメリットは「仕事をおぼえられる」ということではありません。
「求人募集が見られる」ということに尽きます。
あとは「業界にコネが作りやすい」ということでしょうか。
専門学校の講師は現場経験者ですが、現役の人はあまりいません。
詳しくは後に譲りますが、体力が資本なので、ゆるゆると定年まで勤めあげる、みたいな世界とは一線を画します。
そのため、講師は現役引退後にその経験を学生に教える、ということになります。
正直、いつの時代の話だろうという内容もありますし、会社によってやりかたも違うので、講義や実習で習うことは「プロの機械をさわれる」くらいに思っていたほうがいいと思います。
「求人募集が見られる」というのは、校内に「就職課」と呼ばれる課があり、そこで各種会社の求人を取りまとめており、学生と会社の橋渡しをしてくれます。
おそらく舞台照明、音響の会社の求人は、一般向けにはほとんど公開されていないんじゃないかと思います。
なにもできない人が入社しても意味がありませんからね。。。

専門学校へ入学したら、一番強く勧めたいのは「先生の紹介でアルバイトする」ことです。
講師経由でアルバイト募集がありますが、これがほぼ無給に等しい劣悪労働です。笑
でも、「タダで本物の現場の仕事を教えてもらえる」と思えば、これこそが専門学校へ入学した一番のメリットであると思います。
この業界のほとんど唯一といっていい利点は「アゴ足つき」が基本ということです。
「アゴ足」とは、アゴ=食事、足=交通費です。
報酬はびっくりするほど低賃金ですが、ごはんと交通費だけはしっかり出してくれます。
そしてお酒が大好きな人がとても多い業界でもあるので、現場から上がるとたいてい居酒屋さんへ連れて行ってごちそうしてくれます。
アルバイトに関しての金銭的な持ち出しはほとんどないので、アルバイトはどんどん受けるべきでしょう。
現場へ行くと、若くて積極的であればかわいがられます。
そしてこの業界は、かわいがられた人が出世する世界です。
お調子者で要領がいい子はかわいがられ、現場に何度も呼ばれるようになります。
専門学校は「就職率」がもっとも重要なので、アルバイトにより授業を欠席しても、出席扱いになります。
学校でお行儀よく勉強するより、本物の現場で学ぶほうがメリットがあることは言うまでもありません。
そしてそのまま、アルバイト先の会社へ卒業前に就職できるということもあります。
これが専門学校入学の一番の理想的な形ですね。

では実際に就労するとして、どんな世界なのかを振り返ってみます。
まずもっとも重要なのは体力。
音響、照明、大道具と分かれてはいますが、現場ではなんでもやらされます。
めちゃくちゃ重い機材が何十もあり、みんなで力を合わせて運びます。
ここでヘンなやる気を見せようと、重い機材を無理して運ぶと、腰を痛めたり、最悪の場合落して壊したりと、いいことがひとつもありません。
重い機材は「人手お願いしますー!」と大声で呼びかけ、みんなで運びます。
こういう、現場での臨機応変さ、声の大きさ、周囲の状況判断みたいなことも重要だったりします。

雰囲気としては師匠と弟子の世界というか、200%年功序列です。
若手は「パシリ」です。
とにかくつねに走っていないと怒られます。
また、全員の飲み物を買いに行くとか、弁当を全員分取りに行くとか、先輩の好みをおぼえて買い物に行くとか、なにしろパシリです。
いまはどうか知りませんが、頭をパーンとはたく人もけっこういました。
パワハラ、セクハラ当たり前。
セクハラといえば、こんな思い出もありました。
当時大人気だったバンドの横浜アリーナ公演へ兵隊で行ったとき(「兵隊」とは、別の会社がメインで受けた仕事を、人手が足りないぶんだけ依頼されてお手伝いに行くことです)、現場へ行く前に会社の上司から「女の子だけちょっとこっちおいで」と呼ばれ、こう言われました。
「絶対ないとは思うけど、メンバーからなにかされるかもしれないから、気をつけるように」。
なにをどう気をつければいいのか???でしたが、実際に現場へ行くとバンドメンバーとすれ違い、聞こえた会話がこうでした。
「今日、どの子にする?」
おぉ、そういうことね。
グルーピーという言葉はすでに死語でしょうかね。
まぁ、そういうこともありました。

就労環境は、とにかくめちゃくちゃです。
地方へ泊まりで行くこともあるので、プライベートの予定なんかは立てにくいです。
というか、イベントは土日がメインなので、決まった曜日の就労というわけにはいきません。
自分が休みの日でも、大きな現場が入っていると「遊びに来る?」と誘われたりして、断るとやる気のない若手認定されてしまいます。
まさに師弟関係、入社して5年は丁稚奉公みたいなものと割り切らないとやっていかれないと思います。
繁忙期は月に2日くらいしか休みがなく、閑散期は半月くらい休みでした。
また、入社して必ず言われるのは「親の死に目に会えない」ということです。
入社したての新人なら役に立たないので帰してもらえると思いますが、現場のチーフになると、その現場をすべて仕切り、オペレートしなければならないので、誰かに代わってもらうことはできません。
バンドやアーティストは照明も音響も長年連れ添うので、「ミスチルのPAは〇〇さん」みたいになると、その人以外にオペレートするのは不可能です。
そこまで出世するのもたいへんな努力と年月を要すると思いますが。。。

賃金もご想像のとおりです。
大企業の給与がどのくらいかは知りませんが、この業界は数人から十数人規模の有限会社が圧倒的に多いので、収入に関しては期待しないほうがいいでしょう。
お金が欲しかったら違う職に就くしかありません。
でもいま思い返すと、ひとり暮らしの独身女性が多かったなぁと思います。
女性はどうしても筋力がないのでPA卓、巨大スピーカーを運べないという身もふたもない理由から、音響会社へ就職するのは難しかったです。
一方、舞台照明は機材が小さく、センスも問われるので女性が多かったです。
しかしとにかく就労中はお金がなかった。
アルバイトしたほうが儲かります。
厚生年金は払ってくれてました。
そこは本当にありがたいですね。
あんな小さな会社でよく厚生年金負担できたなと感心します。

ほとんど悪い話ばかりですが、実際そんな業界です。
本当に職人の世界であり、もろに芸能界のど真ん中です。
でも、若いときはなにも考えないので、こんな無茶してもいいのかも・・・どうかな・・・笑
親になったいま、もしニャ娘がこの業界に入りたいと言ったら、わりと全力で止めるだろうなと思います。
ニュースにはなりませんが、とても危険な現場が多いので(高所での作業がとにかく多い)大きな事故も起きていました。
いまでは信じられないことですが、私が働いていた時代はヘルメット着用も義務化されていませんでした。
ヘルメットなしでクレーンに乗って武道館の天井近くにライトを仕込んだり、いま思うとよく死ななかったなと思います。
ここまでお読みになった保護者の方は、絶対に子供の進路としては許可しないでしょうね。

体力仕事なので体が資本ですが、かなり高齢の方も現役で活躍されていました。
だいたい「すご腕」みたいになると独立して小さな会社を立ち上げ、その人の持つコネクションで仕事を取ってくるような形態です。
私の就労していた会社も小さな会社でしたが、社長はその道のレジェンドみたいにあちこちで尊敬されている方でした。

また、長く区民ホールなどの「小屋付き」をやっていて、そのまま役所のホール担当として公務員になった人もいます。
若いうちにいろんな現場を経験してから、自分の大好きなライブハウスに転職するという手もあります。
あちこちの現場を請け負う会社よりも、決まった小屋(ライブハウスやホールのこと)で働くほうが安定は得やすいだろうと個人的には思います。
いずれにせよ、世間一般で認知されるところの「安定」からはほど遠いですが・・・
現場の最前線ではなくても、機材の卸会社などに勤める方法もあります。
舞台照明で面白い仕事だなと思ったのは、照明に色をつけるカラーフィルターを売っている会社です。
セロファンのようなフィルターを紙や鉄の枠に入れ、それを照明器具に取りつけて色をつけるのですが、私はこのフィルターが大好きでした。

舞台照明用のカラーフィルターが一般の人でも購入できるようです。
よくあるセロファンとは違い、とても強いのでかんたんに破れたりせず熱にも強いです。ワット数の高い電球に色をつけて幼稚園、学校の舞台などで使うのもアリだと思います。

いまは高性能の照明器具がたくさんあるので、レンタル会社も多くあるだろうと思います。
専門学校時代の友人は大画面のプロジェクターを貸し出す会社へ勤めていましたが、いろんなイベントへ出かけていっていました。
機材貸し出しで大きな会場に入ったり、ライブやイベントの本番をタダで見られるのは役得ですね。

ここまでほぼ悪口でしたが笑、それでも私は、たったの数年しか働きませんでしたが、面白く貴重な体験をたくさんさせてもらいました。
日清食品本社地下にあった日清パワーステーションで食べたまかないのごはん。
バリバリのお役所小屋として有名な中野サンプラザで、12時過ぎてもバラシが終わらずに全部電気を切られた思い出。
キムタクのドラマ撮影で有名になった某区民ホールで、有名アーティストのミュージックビデオ撮影をこっそりキャットウォークからのぞいたこと。
個人的にうれしかったのは、ライブが終わったあとにバンドメンバーと一緒の打ち上げに参加させてもらうことでした。
これはやっぱり特別な経験というか、純粋にうれしかったですね。
そして、客席とステージが宝石みたいに光り輝いて、夢中になっているお客さんを眺めながら、夢のような空間を私たち(というかほぼ先輩と上司)が作ったんだと感動するような現場をいくつも見せてもらいました。
たぶんそれは、ジブリの映画みたいな、三ツ星レストランの料理みたいな、マンガの「ワンピース」みたいな、その人にしかできない、誰にもまねのできない仕事なのだと思います。

私はジブリ映画やワンピースを作ることはできないなと早々に悟り、早い段階でこの世界から足を洗いました。
本当にセンスと機知を問われる仕事だと思います。
残念ながら私にはセンスも機知もありませんでした。
でも、ライブハウスで照明を見ていると、音に色をつける仕事の素晴らしさに改めて感動します。
舞台が完全にひとつのものになった瞬間の気持ちよさ、あの数時間だけの夢の世界。
その世界を作っている側にいる感動は、歯を食いしばって努力した者だけが手にすることができるのだと思います。