よつばと!
あづまきよひこ:作
KADOKAWA
あらすじ
こいわいよつば、5歳女児。
とーちゃん、職業・翻訳家。
世界は、毎日驚きと発見に満ちあふれている。
子供の目で見た世界を鮮やかに描く、爆笑育児マンガ。
ニャム評
「よつばと!」って、ハトのお話だと思ってたんです。
伝書バトとか、リョコウバトとか、なんというか、音の響きが・・・。
よっつのハト??
女の子の名前が「よつば」だと、かなり後になって知りました。
「よつば&」ってことなんですね。
よつばと、なにかが出会って、物語が生まれる。
そういうことなんですね。
あまりにも有名な作品で、あまのじゃくな気持ちにじゃまされて、いまのいままで手に取ることなく過ごしてきました。
そんな私に「バカー!」と言いたい。
が、しかし、15巻発売のタイミングで一気読みできたことについては「ナイス私!」と言いたい。
後者の気持ちのほうが強いので、ナイスタイミングだったと思うことにします。
ちなみに、もう15年ほど前ですが「ハチミツとクローバー」が連載されていたころ、雑誌記者をしていた私は他社の記者仲間に「ハチクロってマンガ知ってる?表紙がめちゃくちゃかわいくて・・・全巻完結してから読もうと思うんだけど」と話したら「バカー!今すぐ読まないと生きている意味がない!全人類必読の教科書だ!」と叱られ、その日にマンガを買ったという思い出がありますが、「よつばと!」もそんな感じです。
この作品についてはすでに語り尽くされており、いまさらなにを述べても凡人のたわごとでしかないのでしょうが、それでも語らずにいられない。
よつばがこの世に生を受けて、出会うすべての人になにかを与えるということが、人間として生まれて生きることの全部を表しているんですよね。
よつばが、というか、ひとりの人間が生まれて育っていくということは、筆舌に尽くしがたいほどの素晴らしさであるということを思い出させてくれます。
基本的にはギャグマンガなのですが、とにかくよつばがかわいいし、「子供あるある」にめろめろさせられるし、まわりの大人たちの関わりもすてきだし、声に出して笑っちゃうような物語です。
でも、だからこそ、15巻の最後のお話が胸に刺さるんです。
まさか「よつばと!」で号泣させられるとは思ってもいなかったので、家族が誰もいないときに読んでよかったー!あぶなかったー!と本気で思いました。
ここからは物語の内容に触れるので、これから「よつばと!」を読もうと思っている人は読まないほうがいいと思いますが、ネタバレOKという方はお付き合いください。
まず、よつばととーちゃんが実子と実父ではなく養子であるという設定がびっくりでしたが、この設定がないとよつばととーちゃんとの物語が生まれないんですよね。
よつばの日本語が微妙におかしかったり、男性の口調なのも、話し相手がほとんどとーちゃんだから「日本語イコール男性口調」になってしまうんですね。
これは、成田美名子さんの「NATURAL」というマンガにも出てくるのですが、外国人男性と一緒に暮らしている日本人女性が、自分の口調がそのまま日本語として刷り込まれてしまうためにわざと男性口調で会話するのと同じです。
女性の日常会話を聞いておぼえると、男性が「これおいしいわね」って日本語になっちゃいますからね。
よつばはその逆で、しっかり男性口調になってしまっているわけですが。
日本人男性がひとりで、しかも他国の幼児を引き取り育てるというのは、かなり差し迫った状況でないと選択できないと思うので、よほどのことがあったという設定なのだろうと推察します。
なぜよつばを引き取って育てることにしたのか、よつばの出生国がどこなのかはわかりませんが、とーちゃん(葉介さん)の育ちの良さがそうさせたのだろうと思います。
人間として、目の前の子供を守る方法を考えた末の結論が、自分で育てることしかなかったのでしょう。
ほかに選択肢がなかったということは、よつばの出生の背景にはかなり重い問題があると考えるのが妥当ですが、まず、「ひとりの子供が救われた(のだろう)」という設定が私の心を強くつかみました。
重複しますが「よつばと!」は基本的にギャグマンガです。
世間でめちゃくちゃおもしろい、おもしろいと評されているので、1巻を読み始めたときには事前評に負けてしまったというか、「そんなに世界中が夢中になるようなお話かなー?」と思ったりしました。
執筆当時の時代背景もあると思いますが、とーちゃんの育児がかなりハラハラするもので、「それは育児としてはNGだよ」と突っ込みたくなる箇所もちらほらあり、心の底から楽しめなかったりもしました。
おそらく回を重ねるうちにそのあたりは軌道修正されていったと思うのですが、だんだんよつばも成長してきて、ハラハラするようなことはなくなりました。笑
そして、よつばが少しずつ大きくなるにつれて、物語も少しずつ変化していきます。
よつばが新しいものや人と出会い、なにかを得ていくたびに、読者もなにかを受け取っていくのです。
春には青々と葉が茂り、秋には葉が落ちて、冬にはすっかりなくなってしまうこと。
ビーズというきらきらの宝石がこの世にあること。
バナナジュースが世界一うまい飲み物だということ。
よつばの目を通して、読者は世界をもう一度知ることになるのです。
そして、よつばと周囲の人々との日常が蓄積されていったからこそ、その先に生まれる物語があるのです。
とーちゃんがよつばのランドセルを買いに行って、「お姉さんみたいだ」と言ったとき、あのコマですでに号泣でした。
毎日が知らないことだらけで、想像を絶することの連続で、思い通りにならない大変さやこれでいいのかという不安やいらだちが常につきまとうのが、子供との暮らしです。
その毎日をずっと続けてきたなかで、毎日は同じことの繰り返しではなく常に少しずつ変化しているのだと気づく瞬間が、子供との暮らしにはたしかにあります。
小さな赤ちゃんだと思っていた子供が、いつのまにかこんなに大きくなっていた。
それは、これまでに味わったことのない、言葉に置き換えることができないような感動です。
そしておそらくは、目の前の子がいつまでも小さな子供のまま留まってはいないという当たり前の事実に、さみしさや悲しみをおぼえているのだろうとも思います。
子供の成長に驚き、悲しみを感じることへの戸惑いというのは、子供と向き合っていれば訪れる感情だと思います。
かわいくてたまらない、自分だけの宝物だった我が子が、ひとりの人間として立派に成長していく。
いつかは私の手を必要とせず、ひとりで歩いていくということが、それは当然喜ばしいことなのですが、それでもやはりさみしいのです。
子供がかわいければかわいいほど、その日が来ないでほしいと願う矛盾にさいなまされるのです。
ELLEGARDENの「Good Morning Kids」という歌をふと思い出しました。
よつばの物語では子供のかわいらしさやおもしろさがズームアップされていますが、もちろん育児は楽しいことばかりではありません。
イライラしてつい怒鳴ったり、やさしくできないこともあるでしょう。
だけど、この物語を読んで、子供が子供であることの感動をお父さんやお母さんが思い出してくれたらいいなと思います。
子供がそばにいて、一点の曇りもなく、大好きと言ってくれることのありがたさ。
それは値段をつけることのできない、光り輝く宝石そのものだということを思い出してほしいなと思うのです。
もうひとつ、やはりとーちゃんとよつばが実の親子でないということが物語の核になっていると感じたのが「ランドセル」の回でした。
ジャンボから「父親の自覚ってできるものなのか?」と尋ねられるシーンが説明的に描かれていますが、当然ながらとーちゃん(葉介さん)は養父として自分がふさわしいかどうか、日々自問しているであろうと思います。
子供にとってどう接するのが「良い大人」か、子供からなにか問われたときにどう返すのが正しいのか、子供と向き合う機会のある人は多かれ少なかれ考えざるを得ないことでしょう。
自分の一言が子供の人格に大きく影響を与えるかもしれないというのは、なかなかにスリリングです。
試行錯誤のなかで正誤をすり合わせながらよつばの成長を見守り、よつばがランドセルを背負う姿をビジョンとして捉えたとき、なにか答えを得たような気持ちになるのだと思います。
七五三とか、幼稚園の制服とか、コスチュームは成長を視認しやすいアイテムです。
ランドセルはその最たるアイテムのひとつに数えられますよね。
よつばがランドセルを背負った姿を見て、とーちゃんの心にはこれまでの日々がどっと去来したに違いありません。
心の中の波が、突然大きく押し寄せてくるのです。
そして、いつのまにか自分が「とーちゃん」になっていたことを、とてもうれしく思ったのではないかなと、そんなふうに読みました。
蛇足ですが、私は極端な人嫌いで(男の人もちょっと苦手)、30歳を迎えたころには結婚を諦め、孤独死を覚悟して生きようと決めていました。
誰か他人と一緒に暮らすなんてとても無理と思っていたのです。
でも、さみしくても穏やかな生活はそんなに悪くないと思っていました。
それがどういうわけか、ニャム夫と結婚してニャ娘が生まれ、私の世界は一変しました。
ニャ娘の目を通して世界を見ることで、こんなにもまぶしい光に満ちあふれていたことを知り、毎日が感動と驚きの連続です。
「よつばと!」がこれほど多くの人に愛されているのは、子供という存在を正確に描き出していることにほかなりません。
そして、子供が子供であるという奇跡を惜しげもなく与えてくれていることに対して、親は全力で応えなければならないのだとも思います。
よつばがちょっとずつ大きくなっていくのをさみしいと思うのは、いつかこの物語が終わってしまうからで、終わりがあるからこそ、いまが素晴らしいのだということを改めて思い出させてくれました。
Good morning kids
How do you feel to have been slid out this world?
I wish it was not so bad
But I think no way you feel that way
You’d come to know as you grow up
This world is full of shit
So I wish you don’t grow up
And I wish you don’t get hurt
And I wish you don’t notice that the world is shit
And I wish you don’t be sad
But I’m not so afraid ‘cause you won’t be like me
おはよう子供たち
気分はどうだい
この世の中に滑り出してくるってのは
そんなに悪くないといいんだけど
まあそんなことはないだろうな
大きくなるにつれて
世界はくそったれだって嫌でもわかっちまうから
だから大きくならないでほしい
傷つかないでほしい
できることなら
どうしようもないだなんて
気づかないでほしい
悲しまないでほしい
でもそんな心配いらないよな
君は僕みたいにはならないだろうから