BOOK

大家さんと「僕」のふたりだけの世界があったかくてかわいらしくてちょっぴりせつない

大家さんと僕
矢部太郎:著
新潮社

【2018.06.20追記】
手塚治虫文化賞贈呈式での矢部太郎さんスピーチ全文が公開されました。
矢部さんの心のなかにある小さな輝きがいったいなんなのか、それが垣間見えたような気がしました。
この作品が受賞したことが、ほんとうによかったなあと思えて、なんだか私もうれしいです。

第22回「手塚治虫文学賞短編賞」を受賞したことで話題になりましたね。
漫才コンビ・カラテカの矢部太郎さんが住んでいる賃貸物件の大家さんとの日常を描いたエッセイ風の4コママンガです。

話題になってるなと思いつつとくに気にしていなかったのですが、あるツイートを見かけたのがきっかけで購入しました。
そのツイートは

年を取って自分の考えを発信しなくなってきた母親に読ませてあげたい

というものでした。

私の母もつい数年前までは読書が好きで、買った本を貸し借りしたり、お茶を飲みながら読んだ本の感想を語り合ったりしていましたが、最近になって少しずつ文字を目で追うのがおっくうになってきたようです。

大河小説の楽しさは体力的に挑戦できなくなっていっても、まだまだ読書の楽しみ方はたくさんあるはず。
巷の書評をパッと見た感じでは、ほのぼのエッセイみたいだし、こういう軽めのかわいらしい世界をゆっくり楽しんでほしいと思い、近所の本屋さんヘ立ち寄りました。
ところが先日まで平台に積んであったのに、その日はどこにも見あたりません。
店を横断してしまってからUターンして再度探し、平台にポツンと1冊だけ残っていた本を無事に入手できました。
売れてるんですねえ。
本が売れるっていうのは素直に喜ばしいことです。

ふだん家では読書しないのですが(私の読書時間は通勤電車のなかだけです)、どんなマンガかな~とちょっとだけ読み始めてみると、なんともかわいらしい世界が目に飛び込んできました。

テイスト的には益田ミリさんっぽい? ふんわりした描画。

パラパラと数ページ読んで、そのままツルツルーっと読み進め、一気に読んでしまいました。
4コマもしくは8コマ程度でお話が進んでいくのですが、テンポによどみがなくて気持ちよく読み進められます。

矢部さんが住んでいたアパートを追い出され、不動産屋さんに新しく紹介されたのは、一軒家の二階部分を賃貸に出している物件でした。
一階には大家さんがお住まいになっていて、もともとは二世帯住宅だったため完全分離しているという物件。
大家さんは御年86歳で、言葉の端々から察するに、良家のお嬢様だったのではないかと推測されます。

大家さんと矢部さんの奇妙な暮らしが始まるわけですが、このふたりの関係がどんな言葉にも形容しがたい、とてもかわいらしい二人組なのです。
大家さんはとても上品でていねいなお方で、なにか気づいたことがあるとすぐに矢部さんに電話します(大家さんから電話がかかってきたらびっくりしますよね笑)。
そしておすそわけや、洗濯物の取り込み(!)など、まさにおばあちゃん並みにお世話してくれるんです。
最初は大家さんとの距離に戸惑う矢部さんですが、少しずつ大家さんの人柄を知り、そして仲良くなっていきます。

なにしろ戦前生まれのお嬢様なので、いろいろと時代感覚の違う言動が多く、コミカルでキュートな大家さん。
そうかと思えば、矢部さんに「遺影はどちらがいいかしら」と写真を見せて矢部さんを困らせたり笑
そんな大家さんのエピソードで私が一番好きなのは、大家さんが新宿伊勢丹をごひいきにしている理由です。
大家さんはいつもタクシーに乗って新宿伊勢丹本店へお買い物に行きます。
お供をする矢部さんは伊勢丹プライスにビックリして、なぜ伊勢丹でしか買い物しないのですか?と大家さんにたずねます。
その答えがとてもせつなくて、胸がきゅうっとなりました。
これはぜひみなさんに手に取ってお読みいただきたいのですが、年を取るというのは心に少しずつ年輪を刻んでいくことで、その年輪はたしかにそのときあった出来事を正しく記録しているんだというようなことを思いました。

私の祖母も伊勢丹をひいきにしていて、子供のころは一緒に買い物へ出かけていました。
伊勢丹に行くと決まった店員さんを呼び、しばらくすると決まった階の応接フロアみたいなところへ通され、そこに祖母が座ると店員さんがいろんな商品を持ってズラーッと並べます。
子供心になんか変だなと思っていましたが笑、いま思うと祖母は「お得意さん」だったんですね。
ボロボロのアパートを経営していて、そこに住んでいたので、祖母がわりとお金持ちだったということをまったく知りませんでした。
こうして思い出してみると、祖母もアパート経営をしていて、伊勢丹が好きで、なんだか大家さんに似ていることにいま気づきました。
なつかしいなあ。
大正生まれの江戸っ子で、本当に宵越しの金を持たない人でした。
お金を貯めると腐ると本気で言ってました。
なので、亡くなったときには遺産なんてこれっぽっちもありませんでした。笑

大家さんには長生きしてもらって、矢部さんと楽しく暮らしてもらいたいです。