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BOOK

他人と自分の違いを知り、問題を解決することに慣れている人たち。自殺希少地域で見た「生きやすさ」のヒント

その島のひとたちは、ひとの話をきかない
精神科医、「自殺希少地域」を行く
森川すいめい:著
青土社

あらすじ

「自殺希少地域」とは、自殺で亡くなる人が少ない地域のことであり、日本各地にそのような地域が存在するという。
精神科医としてクリニック経営やボランティア活動を行う著者が実際にその土地を訪れ、なぜ自殺者が少ないのかをその目で確かめる旅に出た。
訪れる各地域で著者が感じたのは、「他人を放っておかない」ということだった。

自殺希少地域に暮らす人たちに共通する特徴は、「対話に慣れている」ということ。
困っている人がいたら、その人が助かるまで助ける。
違う意見でも対立しない。
生きやすくするために工夫する。
そして、意外なことに、「地域の人々の関係性は密ではない」ということもわかった。

「生きやすさ」とはなにか。
その解を求めて各地を歩いた著者が体験し、感じたことをまとめた一冊。

ニャム評

「自殺希少地域」と呼ばれる、自殺者の少ない地域があると聞いた著者の森川さん(@suimebukuro)は、その地へ実際に旅して人々と会話をします。
そして、様々なカルチャーショックを受けます。

森川さんは精神科医であり、うつや自殺願望のある人たちの心をケアするボランティアを行っています。
彼らから「生きやすさとは」と問われるけれど、その答えは医学の外にあると感じていた森川さん。
岡檀(おかまゆみ)さんの「自殺希少地域」に関する研究を読んで、これまでの考えとはまるで違う研究結果に衝撃を受け、実際にその地へ行ってみようと思い立ったそうです。
岡さんの研究に興味のある方は「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」をご参考ください。

森川さんが最初に訪れたのは、徳島県の旧海部町(現在は海陽町)。
ここで森川さんは最初の不意打ちをくらいます。
旅館の部屋に用意された菓子を食べようとして、なんとなく賞味期限を見たら期限が過ぎていたそうです。
宿の職員にそれを話すと「へっ?」と驚かれ、
「若い人はそういうの気にすんのやね」
という一言で片づけられてしまったそう。笑
森川さんがリアクションに困っていると
「わかったわかった、おばちゃん、新しいのもってきといたる」
と矢継ぎ早に畳みかけられて会話が終了したそうです。
小さなことは気にしないという大らかさ。
このエピソードを読んで、「大雑把な人たちの暮らし=自殺回避」という話なのかな、と思ったのですが、しかしそうではないようでした。

このざっくりした町で、森川さんが次に遭遇するのは自身のトラブルでした。
数日前に抜歯した親知らずの傷が腫れてきて、縫合した糸が痛くてたまらない。
しかしゴールデンウィークのため、どの病院も当然休診です。
困った森川さんは旅館のおじさんに相談してみました。
すると、「近所の歯医者がさっきいるのを見かけたから」と、休業中の歯科医院を開けさせると言います。
恐縮して断ると、次に「ここから82キロ先に歯医者があるから連れてってやる」と言います。
82キロ!
さらに申し訳ないと断り、森川さんは部屋で少し休みました。
そして痛みが少し引いたので町を散歩してみると、あちこちの人からこう声をかけられます。
「あんた、歯が痛い人やろ、大丈夫か?」
と。
旅館のおじさんがあちこちに話したおかげで、森川さんは近所に住んでいる元看護師さんの家へ案内され、医療器具を借りて自分で抜糸することができました。
この「放っておかない」感がすごい。

森川さんは、この町の人たちは「解決することに慣れている」のだと感じます。
問題があれば、解決するまで解決する。
「なんとかしよう」という気持ちがある。
それは、「自分と違う」ということに慣れていて、その違いを他人事と思わずに受け入れているからだろうと推測されます。

「福祉の国」といわれる北欧では、車いすの人がひとりで町へ出かける姿とよく出会うそうです。
北欧では舗装が整備されているのかというとそうではなく、道はデコボコ。
助けが必要な場面になると、その場にいる人が自然と助けるのだそうです。
だから、デコボコの道でも、車いすでどこへでも行かれる。

旧海部町の人たちの関係は「緊密ではない」そうです。
住人たちは自分たちの町を、そのように感じています。
しかし、緊密ではないけれど、「自分と違う」たくさんの人と出会っていて、人が多様であることを理解しているから、その違いを当たり前に受け止めて助け合う基礎が人々の心にある。
旧海部町では、うつ病の有病率は高いけれど入院する人はとても少ないのだそうです。
それは他人に疾患や障害があっても区別しなくていいという認識でいるからでしょう。
お互いに、なにに困っていて、どうしたらいいのかをわかっているから、特別な場所に隔離する必要もなく、生活の場で解決できるということです。
「自分はそこにいてもいいんだ」と思えることが、「生きやすさ」の答えになっているのではないかと感じます。

先述した岡さんの研究では、自殺の多い地域の人々は、自殺者が出ることを「しかたない」と思う割合が高いそうです。
そして自殺希少地域では、自殺がしかたないことだと思わないそうです。
「もっと相談してくれたらよかった」
「すごく頑張っていた、自分で抱え込んでしまったんだと思う」
そう人々は言い、
「どうして自殺することになったのか、残った家族に聞いて来ようと思う」
と言う人もいたそうです。
一般的な考え方では(なにを「一般的」というのかもよくわかりませんが)、残された家族に自殺の原因を聞きに行くというのは、傷口に塩を塗るようなことではないかとためらってしまいます。
しかし、この地域の人は「放っておかない」のです。
それは「興味本位」ではなく、解決できなかったことへの悔いなのだろうと感じます。

このほか
地域のさまざまな人が集まって問題解決する組織「朋輩組」(隣組みたいなもの)
「できることは助ける、できないことはほかの人に相談する」という、途中で投げ出さない姿勢
漁業や農業など男も女も同じ仕事をして「男女が平等である」こと
その地域の人たちが共通の目標に向かっている
「死」を特別なこととせず、家で臨終を迎えて家族に看取られる
など、地域ごとの特徴を挙げて紹介しています。

上記のような特性があるから自殺者が少ない、というわけでもありません。
地域によっては「親身に話を聞く」ような人々だったり、反対に「全然人の話を聞かない」人々だったりと、どの地域も特徴が同じであるというわけでもないようです。
その地域ごとの風土や気候によって困難は違い、その困難をどう乗り越えていくか。
知恵を絞らなければ人は生きていかれないような、厳しい自然とともに生きているからこそ、人は寄り添い、助け合って生きてきたのです。

都市部ではこういった人のつながりを形成するのは難しいかもしれません。
また、人口が減り、高齢化していく過疎地でどのように「人助け」をしていくのかも、これまでのようにはいかないでしょう。
地域やご近所で助け合ってきたことを、これからはNPOがその役割を担っていくと森川さんは語ります。
営利目的のハウスキーパーやベビーシッター、便利屋とは違う、寄付や助成金によって活動する団体が、人と人のあいだをつなぐ役割を果たしていくのではないか。
この考え方はなかなか日本では浸透していませんが、これからは不可避の問題を解決する方法として選択されていくのではないでしょうか。
蛇足ですが日本で浸透しない理由は男女格差、男女不平等(主に男性が就労のみ担い、女性がその他すべてをまかなう)によると個人的には思っています。
21世紀になっても古くさい慣習が抜けない島国で、しかしこれから避けることのできない変化をどう受け入れていくのか、そこに「生きやすさ」のヒントがあるのではないでしょうか。

本書で紹介されるエピソードのなかで個人的にとても好きだったのは、お世話になったお店ののれんを写真に撮って宣伝代わりにツイートしようかなと森川さんが考え、「お店の写真を撮ってもいいですか」とたずねると、「いいよ」と言って店の人がみんなワラワラとのれんの前に並んだという話です。
都市部の人は、インスタとかツイッターに上げる写真は、店の入り口とかのれんだけとか料理とか、「モノ」を写そうとしますよね。
けれどもこの町の人たちは、「写真に写るのは人」という当たり前の認識があるのです。
物事の中心は人間。
彼らは常に人間を見ていて、人間のいる場所でみんな一緒に生きているのです。