もしものせかい
ヨシタケシンスケ
赤ちゃんとママ社
おはなし
もしも、こうだったら。もしも、そうでなかったら。
この世界には、たくさんの「もしも」であふれている。
主人公の男の子の夢に、大事にしていたおもちゃが現れます。
おもちゃは男の子に、こう言いました。
「とつぜんでもうしわけないんだけど、ボク、もしものせかいにいくことになりました。」
もしものせかいとは、
あのとき、できなかったこと。
あのとき、なくしてしまったもの。
あのとき、変わってしまったもの。
そういう出来事や、人や、ものが、いまも変わらずにいる世界のこと。
それは、男の子の心のなかにある、「もうひとつのせかい」だとおもちゃは言います。
「もしものせかい」へ行ってしまったら、もう二度と「いつものせかい」には戻ってこない。
だけど、大丈夫だとおもちゃは続けます。
「ボクは、もしものせかいにずっといるから。」
「もしものせかい」が心のなかにあるかぎり、ずっとそこにいるからーー。
大切な人、大切なもの、大切な場所。
人は、生きているかぎり、なにかを失っていきます。
その悲しみにどう向き合っていくか、その悲しみを笑顔や希望にどうやって育てていくか。
ヨシタケシンスケが描くやさしいタッチの絵と言葉によって、失ったことによる傷をゆっくりと癒していく、回復と再生の物語。
ここがおすすめ
21世紀の大人気絵本作家、ヨシタケシンスケさんによる新しい形の物語です。
どんな人でも、人生で一度や二度はなにかを失った経験があるのではないでしょうか。
小さな子供であっても、大切にしていたぬいぐるみをなくしてしまったり、大人になればなるほど人や出来事との離別、あるいは死別を経験することになります。
別れは回避できない現象であり、どんなにお金があっても、どんなに立派な人でも、それを止めることはできません。
でも、「別れ」とは、すべてを失ってしまうだけの悲しい出来事ではないのだと、この本は読者に教え諭します。
大切にしていたもの、亡くなった大好きなおじいちゃん、それから、もしかしたら成功していたかもしれない出来事。
現実の世界では消えてしまうけれど、心のなかにある「もしものせかい」には、それがいつまでもあって、いつでも会うことができると物語は言います。
「もしものせかい」を心の中に作ること、それは絶望に打ち克つための手段ではないだろうかと感じました。
生きていく上で、自分以外のものや事象と出会うということは、その先に分岐する未来が待っているということです。
すべての生物は止まることなく未来へと進んでいき、足を一歩踏み出すごとにAかBかを選び続け、しかしながらその選択がもたらす未来を拒否する方法を持ち得ません。
ひょっとすると、選ばなかったことで大切なことを失ってしまうかもしれない。
または、選択肢すらなく、そこへ向かって進むしかないのかもしれない。
だけど、それが「なかったこと」になるわけじゃない。
これまで見たり聞いたりしたこと、心の中の思い出が消えてなくなってしまうわけではないのです。
2020年は新型コロナウイルスによりさまざまな分断、別れ、喪失がありました。
2021年はあの巨大な地震と津波によって多大な尊い命が失われて10年が経った年でした。
絶望は、想像を絶する力でなにもかもを奪い去っていきます。
それでも、心の中にある希望や夢やあたたかい思い出を奪い取ることはできないのです。
言葉はなぐさめにしかならないかもしれない。
それでも、ほんの少しでも、この本を手に取った誰かの心に小さな灯りがともればいいなと、そんなことを思いました。