Hello world!
あなたの心のおとなりさん、ニャムレット(@nyamletblog)です。
音楽情報誌「ロッキング・オン・ジャパン」2022年11月号の表紙・巻頭インタビューはわれらがヒーロー、エルレガーデン。
発売日に買い忘れたまま数日経ち、書店で売り切れてたらショックなのでアマゾンでポチッと購入しました。
スマホでポチって翌朝ポスト投函されているって、そりゃあ本屋さんつぶれちゃうよね。
印刷業界の片すみに従事していた者として書店を応援したい気持ちは120%ありますが、我が家の最寄りにある大型書店は鉄道関連会社で場所も駅下の超一等地にあり、やる気が感じられないというか殿様商売で平台のセンスもイマイチなためどうも足が向かず。。。
百田尚樹の「日本書紀」を平台いっぱいに積んでるのを見たときからそこで買うのをやめました。
百田さんもナイトスクープ作ってるときは面白かったのにね。
書店への文句はさておき、届いた冊子をさっそく読みました。
やはりというか当然、インタビュアーは山崎洋一郎さん。
記事の内容は、制作中のアルバムについてがメインでした。
16年ぶり(!)の新曲「Mountain Top」をまず最初にメンバー全員で聴き、その曲から着手しはじめて、そして現在も制作途中だという過程での話でしたが、やはりというべきか、その過程が非常に難航しているということがひしひしと伝わる内容でした。
しかし、前作と大きく違うことは4人全員が互いを信頼し、全員が同じものを作ろうと思っていることだろうと強く感じました。
前作「ELEVEN FIRE CRACKERS」制作時のことは後述しますが、とにかくいろいろなことが彼らの肩に重くのしかかり、足並みが揃わず、一緒に歩いていくことが困難になってしまったのだろうと思っています。
あのころの悲壮な雰囲気、日を追うごとに増していく「もうダメなんだろうな」という予感、それが確定されたときの絶望、そういうものがいまはすべて払拭されていました。
アルバムを作ろうという流れから、細美くんがロサンゼルスでデモ音源を作成していた当時のエピソード、帰国後に細美くんのスタジオで4人で聴いたという話など、アルバム制作に関する話題がメインでしたが、ところどころで細美くんが「エルレができた当時」のこと、「50歳を目前にして枯れていく実感と、でもその前にもうひと暴れしたいと思うざわざわした感じ」について語っていたのが印象的であり、いまのエルレがどういう状態であるかを可視化してくれたように感じました。
さて、ここからは、中年エルレおたくの戯れ言と思って読み流してください。
私や、私と同じように16年をじりじりと過ごしてきた「昔のエルレファン」にとって、今回のインタビューはホッとするような内容だったのではないでしょうか。
そっか、今回のは純粋に、めちゃくちゃ期待して待ってていいんだー、楽しみ!
・・・って思っていいやつだよね?
っていう、一抹の不安を抱えつつも笑、でももう大丈夫、4人が仲良しなら心配ない、こっちはただ楽しみに待ってるから!というテンションになりました。
前作「ELEVEN FIRE CRACKERS」の制作時もハイレベルなものを求め、極みを目指した結果、作品としては優れたものが生み出されたものの、その工程があまりにも疲弊するものだったために大きなダメージを負い、バンドは活動休止というステージに入ってしまいました。
細美くんが求めるレベルを3人が理解できなかったということもあるでしょうし、バンドの才能に対してスタッフや事務方の規模が追いつけなかったのだろうとも感じていました。
当時はエルレの人気が膨れ上がったバブル状態であったことも大きくマイナスへ傾いた要因ではなかったかと思います。
自称エルレおたくの私から見ていて、人気と反比例するように周囲の空気が日に日に荒れていくのを感じていました。
それまで良くも悪くも内輪っぽいファン同士のキャッキャした空気が否定され、土足で踏みにじりに来る心ない人たちが押し寄せてきて、どうしてこんなことになっちゃったのかな、ただライブで楽しく遊びたいだけなのに、新曲を聴いてワーワー言いたいだけなのに、と当時はとても悲しく虚しい気持ちでいました。
エルレの認知度が上がってきて、小さなライブハウスではチケット入手が困難になってきたころ、ジャパンのインタビューで山崎さんが細美くんに対してしきりに言っていたのが「もう狭い小屋じゃ無理だよ、アリーナでやりなよ」ということでした。
それを読んでいた当時は「余計なこと言わないでよー」と思っていましたし、その後幕張メッセで単独ライブをやったとき、あのあたりからおかしな空気を感じ始めていたので、個人的な恨みが山崎さんにありました。
完全なお門違いですけど。
2006年のツアーで仙台のJUNKBOXへ遠征したとき、細美くんがMCで「今度、幕張でライブやるよー」と言ったとき、高橋さんが後ろで顔をしかめたのを見て、ああ、なんか、みんなが望んでいる感じじゃないんだなと思いました。
このとき初めて、エルレがエルレじゃないみたいな、なにかわからないけどザラッとした感じがしたのをおぼえています。
だけど、あのときは「ELEVEN FIRE CRACKERS」のリリースも決まっていて、新曲めちゃくちゃいいじゃん!って思って、ツアーめちゃくちゃ楽しみ!チケット取れるかなー、なんてのんきに考えていました。
まさかあんなガタガタになるとは想像もしていなくて、活動休止になったとき、私は「山崎さんが余計なこと言うからこうなった」となかば本気で腹を立てていました。
山崎さんにそんな影響力もないといまは思いますけども。
そんなわけで、今回のジャパンインタビューは当然山崎さんがするだろうと思いつつも、正直に言ってあまり期待していませんでした。
「オレが一番エルレのことわかってる」的な内容だったらがっかりだなあ、と思っていました。
期待値ほぼゼロで読んだので、結果としては非常にいいインタビューだったのがとてもうれしかったです。
山崎さん、ずっと悪く思っててごめん。
そして、今回のインタビューはもしかすると、若い子にはピンと来なかったかもしれないな、とも思いました。
山崎さんははっきりと、「ぼくたちの大好きなエルレガーデン」側に立ってインタビューし、それはずっとエルレを見てきたファンの目を通したインタビューでもあった、つまり「編集者」ではなく「エルレガーデンのことが好きないち音楽ファン」に寄った対話をしていると感じました。
細美くんの話もそれに応える内容で、止まっていた長い時間を振り返り、そこからどこへ向かっていくのかを私たちに示すようなテキストになっていました。
さすが、インタビューうまいなと当たり前ですが感心しました。
「Mountain Top」を聴いたとき、Spotifyで音源のみを聴いたのですが、最初はどうもピンと来ませんでした。
エルレと言われればそうだけど、でもMONOEYESとどう違うのか、エルレらしさってなんだっけ?あと英詞だとよくわかんない。。。
20回くらい聴いたあと、あっそうかビデオもあるのか、と思ってYoutubeで見たら、日本語訳がついていて、そこでかなりしっくり来るように感じました。
そしてこのインタビュー記事を読んだことで、「Mountain Top」の歌詞の意味が理解できて、自分の中のエルレガーデンが最新にアップデートできたように思います。
巻末にある山崎さんの連載「激刊!山崎」でこんなふうに書かれていました。
「ロッキング・オン・ジャパン」2022年11月 551号 224ページより引用
言い方は悪いけど、例えばデバイスの電源をいったんオフにするとか、聴いていた音楽を一時停止にするとか、そういう感覚に近かった。(中略)
いわゆる休止じゃなくて一時停止であり、「停止」ボタンではなくて「一時停止」ボタンを押す感覚で僕はエルレに向き合った。(中略)
だから、14年前に活動再開の時を「待つ」つもりもなかったし、4年前の活動再開の時も「待っていた」という感覚はなかった。10年間、一時停止ボタンは押されたままで、その間に、ただ時代が勝手に進んだだけだ。
(引用ここまで)
このあとの記事のオチが自虐的というか笑えるのですが、そこも含めてとても親近感がわくというか、気持ちを代弁してもらったような感じがしました。
エルレが活動休止したあと、4人がそれぞれ音楽を奏で始めても、私はどうしても聴きたい気持ちになれませんでした。
だってそれはエルレじゃないし、細美くんが好きなわけじゃなくて私はエルレが好きだから、エルレじゃないものを聴いても耳に入ってこないし、あの空間が好きだからそこに行きたいだけなのに。
チケットが取れなくなってしまい、皆勤賞みたいにライブへ通っていたころとはまるで変わってしまった状況にも心が追いつかなくなっていました。
状況としてはかなり最悪なところでエルレガーデンというものが止まってしまったので、私のなかのエルレガーデンもそのままポーズ状態になり、「待っている」という美しい言葉ではいられなかったのが本当のところです。
その後、人生の節目となるような出来事がいくつもあり、14年前の私とは違う私になりました。
ちょっと目を離したら死んでしまうのではないかと本気でおびえながら赤ちゃんを育て、満員電車で仕事に行き、帰りは競歩ばりの早足で家路を急ぎ、気絶するように寝てまた起きるという日々を繰り返し、そんななかでエルレ復活の報を聞きました。
幸運にも復活ライブは友人が連れて行ってくれて、1曲目の「Supernova」を聴いた瞬間に一時停止が解除されたような、再び私のなかのエルレガーデンが動き出したような感覚はありましたが、新曲を聴いて「はて、これはいつのエルレだったかな?」という、浦島太郎状態に陥ったわけです。
山崎さんのインタビューを読んで、エルレガーデンが私と同じように年を取り、14年前のエルレとは違うエルレになったんだということがわかって、浦島太郎状態が解消されたというか、とてもすっきりしました。
これはMONOEYESなのか、ハイエイタスなのかとかそういうことじゃなく、そういうのも全部インクルーズしてエルレガーデンなんだということが体感としてわかりました。
それと同時に、細美くんが言う「枯れていく」という表現、だからこそ限界に挑みたいという姿勢、同世代だからこそ理解できる感覚を共有できることに小さなうれしさも感じました。
いままでずっと、細美くんがヒーローみたいに崇められているのを見たり、情報誌なんかでいいことを言っているのを見るたびにかなり違和感というか「えっ誰?」と思っていました。
そんないいこと言う人じゃなかったよね?
そんな善人だったっけ?
サインもらいに行ったとき、あからさまに機嫌悪そうな空気で「めんどくせー」って顔してたよね?笑
当たり前ですが、年を取れば大なり小なり経験が積まれていきます。
私も14年前は勢いでなんとかしたり、浅慮で誰かを傷つけたり、その先にあるものを予測できずに右往左往したけれど、そういうことを少しずつ乗り越えて今があるんだった。
彼らだって14年という時間があって、私なんかよりもっとずっとたくさんのことを見たり聞いたりしてきたはずで、その積み重ねが今日のエルレガーデンなんだ。
こういう感じ、若い子にはわからないかもしれないけど、でもいいじゃん。
これからいっぱい、うんざりするくらいいろんなことがあって、それをするもしないも自分が選ぶんだから。
昔からエルレを見てこられた幸運と、彼らと同世代であることくらいしか、中年になって自慢できることなんかないんだから。
それはたとえば、フレディ率いるクイーンをライヴ・エイドで見た!って自慢されても、だって私まだ子供だったし、と言うしかないのと同じで、日本の小学生がロンドンにライブ見に行かれるかっつーの、ってことです。
めちゃくちゃうらやましいけど。
ま、そんな感じでちょっとくらい自慢してもいいよね、と思ってぼそぼそとつぶやいてみました。
自慢ついでにエルレの思い出話をいくつか置いておきます。
エルレが私にとって特別なのは、人見知りでひとりぼっちが好きでいつもイヤホンで音楽を聴いていた私が、ある日PCモニターの向こうから「一緒にライブ行こうよ」って手を差し出してくれた友だちと出会えたから。
その手を、当時の私は持っている勇気を全部振り絞って握り返して、そうしたら見たことのない景色が目の前に広がった。
若くなかったらあんなことはできなかっただろうし、あんなふうに思う感性もなかったかもしれないし、一期一会とはこのことかといまになってしみじみ思います。
そういう出会いが、きっと誰にでもあるんだろうと思うと、こんな殺伐とした世の中でもちょっとだけ救われるような気持ちになります。
残念ながらいろいろなことがあって今はもう会えない友だちもいるけれど、人見知りで引きこもりで空気読めない私みたいなのを仲間に入れてくれたことは今もとても感謝しています。
音楽なんて聴いてもおなかいっぱいになるわけじゃないけど、聴いたあとにどこかが満たされるような感覚は、聴いた人だけが受け取れる特別なギフトみたいなものじゃないかと思うのです。
ELLEGARDENのチケット棚卸ししてみました。2004年から2007年までを半券で振り返ります
ELLEGARDENの「なつかしい」ほうのグッズを引っ張り出してみました