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BOOK

「グリコ・森永事件」の主犯格とされた「キツネ目の男」。被害者や関係者への緻密な取材により浮かび上がった犯人像と新事実を紐解く

キツネ目 グリコ森永事件全真相
岩瀬達哉:著
講談社

あらすじ

1984年3月18日、当時の江崎グリコ社長である江崎勝久氏が自宅で誘拐された。
そこから始まった、「かい人21面相」と名乗る犯人の残忍で卑劣極まりない凶行。
「グリコ・森永事件」と呼ばれ、世間を恐怖のどん底に陥れた有名な事件である。

2000年2月13日に完全時効が成立してから20年余、著者の微に入り細に入った取材により、これまで語られなかった当時の出来事が新たに浮かび上がる。

社長誘拐から毒入り菓子のばらまき、犯人グループと警察の攻防などを丹念に紐解くとともに、被害者本人や関係者へ直接取材を行い、当時の生々しい記憶を掘り起こした。

あのとき、現場でなにが起こっていたのか。
なぜ犯人を捕らえることができなかったのか。
時効が成立しても、人々の心に抱えきれないほど大きな傷を残した凶悪な事件が許される日は来ない。
自己顕示欲が強く、常軌を逸した身勝手な思考によって行われた犯行を振り返りながら、「キツネ目」の犯人像に迫る。

ニャム評

「週刊現代」誌上で約一年間に渡り連載された「かい人21面相は生きている グリコ森永事件27年目の真実」という記事に新たな取材を加えられたのが本書です。
連載終了から本書脱稿までに10年もの時間をかけたというだけあって、まさに「全真相」と謳うにふさわしいボリュームでした。

若い人はこの事件をどの程度知っているのでしょうか。
私はちょうど小学生のころ、リアルタイムでこの事件を見聞きしていたので、強烈な記憶として脳裏に焼き付いています。
大手菓子メーカーへ脅迫し、実際に青酸ソーダという薬品を菓子に混入し、その菓子を店頭に置いたという前代未聞の凶悪な手口は、子供心にも大きな恐怖を与えました。
といっても「毒が入ってるんだって!」というだけで、実際それがどの程度の恐怖なのかは当時はよくわかっていませんでした。
犯人グループのふざけた脅迫文が話題になり、一見するとコミカルな文体によって親しみのようなものすら感じていたものです。

大人になり、関連書籍を読むにつけて、卑劣、凶悪、狡猾、そして常軌を逸した身勝手さや異常なまでの自己顕示欲といった人物像が見えてきて、改めて戦慄を覚えるとともに強い嫌悪感を抱きました。

この事件について最も多くの人が思ったことは「なぜあれだけの証拠や接触がありながら犯人検挙に至らなかったのか」ではないでしょうか。
私もいくつかの関連書籍を読んで思いました。
おそらく犯行グループのメンバーであろうと思われる人物と何度も接触しながら、なぜ逮捕できなかったんだろう?
これは当時のテクノロジー品質の低さが大きな一因であると思います。

1980年代は警察無線がアナログでした。
無線技術があれば誰でも傍聴できてしまうという、いまでは考えられないようなザルのシステムだったため、当然犯行グループは警察無線を盗聴していました。
防犯カメラの解像度も低く、もちろんスマホや携帯電話もないので、瞬時に情報を伝達する方法などもありません。
犯人らしき人物を見つけても、いちいち公衆電話で連絡を取るというやりかたでは、犯人に分があるといっていい状況だったのだろうと想像します。

また、犯行グループの手口として警察や脅迫対象の企業へ怪文書を送りつけるという象徴的な手法が採られましたが、そこで重役を実名で名指ししたり、わざと工場内の特殊な機械名などを挙げて脅迫しました。
そのため犯行グループは企業に詳しい人物か、内部犯行ではないかという声もあったそうですが、犯人は社員四季報や決算報告書を読んで脅迫状を書いていたというのが著者の推測です。
犯行グループはさも各企業を詳しく知っているふうを装い、自身がイニシアチブを握っているように見せたかったのでしょう。

本事件に関しては多くの書籍が発行され、ウィキペディアでも大筋を読むことができますが、本書でしか読むことのできない目玉ポイントは「その時、その現場の主人公」へのインタビュー取材です。

焼肉店「大同門」へ金の受け渡しをさせられた、「寝屋川アベック襲撃事件」の被害者男性は、著者へ当時の出来事を語りました。
そして、あの事件によって大きく変えられてしまった、その後の人生についても告白しています。
もしかしたら、いまとは違う未来があったかもしれない。
そこで抱いていた夢や希望は、犯人の身勝手な凶行により大きく歪められてしまいました。

そのほか、脅迫を受けた企業の元社長や重役にアポイントメントを取り、「時を経たいまだから語れる」話を聞き出しています。
自身や家族、社員たちの命が脅かされる恐怖に加え、会社の経営危機と向き合わねばならないという嵐の渦中にいた当時を振り返り、ある程度の俯瞰と整理が可能になったいましか聞けない「主人公たちの本音」がそこにありました。

事件の幕開けとなった江崎グリコへの脅迫が始まり、その後森永製菓へターゲットを移しましたが、森永は「犯人の要求に屈しない」という姿勢を徹底して貫きました。
犯行グループにとってはそれが屈辱的であったのか、彼らは森永からカネを取ることはできないと悟りながらも徹底的に追い詰め、血祭りにあげることで他社への見せしめにしたと考えられます。
わざとらしく世間へ過剰なアピールをして見せ、徹底的に森永を吊るし上げることで「カネを払ったほうがましだ」と他社へ思わせようとしたのでしょう。
脅迫を受けた企業は要求されたカネの支払いはしていないと公表していますが、実際のところは闇に包まれたままです。

余談ですが、当時森永の社長の娘が元首相・安倍晋三氏の妻である昭恵氏であり、事件当時は交際中だったそうです。
いまとなってはモリカケ問題や「桜を見る会」、アベノマスクなど悪名高い「元総理と夫人」ですが、彼らがどんな思いで現在も夫婦として過ごしているのか、ふと考えてしまいました。

「キツネ目」の人物像を読み解くうちに、近年起こったいくつかの列車内事件を思い浮かべました。
鉄道列車内という不特定多数の人が密集する場で、刃物を振り回したり薬剤を振りまいたり、あげくは放火するといった凶悪な犯行。
金銭の要求こそないものの、いったいなぜあんな犯行に至ったのだろうか。
犯人たちの心にはいったいどんな闇が巣食っていたのだろうか。

彼らはもしかすると、この「キツネ目」と同じなのではないかと感じました。
経済的、あるいは家庭内などの問題により恵まれない幼少期を送り、そのことによって不遇な人生を歩まされたと門違いの恨みを他者に抱き、埋み火のような怨恨を胸の内で育ててしまったのではないか。
「自分が不遇なのは社会のせい、幸せそうにしているやつはみんなずるい、憎い、だから制裁を加えてやるんだ」

自分の恵まれない環境を他者のせいにし、自らの悪事は棚に上げ、自身の犯行を正当化するゆがんだ思考は、閉塞的な社会のあちこちで小さな芽を出しているように感じます。
SNS上で横行する「正義警察」もそうですが、他者やあるいは社会を悪者に見立てて攻撃を加えるというのは、精神が高揚し、気持ちのいいことなのではないでしょうか(私にはさっぱりわかりませんが)。

社会の分断と様々な格差が加速する世界で、私たちが成すべきことはなにか。
身勝手で自己顕示欲に取り憑かれた犯人と戦った人たちが、なにを語ったのか。
過去から得た教訓を未来へ生かす手がかりが、本書には記されています。

未解決事件 グリコ・森永事件 捜査員300人の証言 ニャムレットの晴耕雨読