BOOK

草野マサムネ、古市コータロー、TOSHI-LOW、岡村靖幸、武内亨、和田唱らの“14歳”がここにある。いじめや差別の苦しみを乗り越えて大人になった彼らの記録集

14歳 fourteen
佐々木美夏:著
エムオン・エンタテインメント

あらすじ

数多のミュージシャンが「14歳のころ」を語ったインタビュー集。
もっとも多感な思春期であり、生きづらさを抱える14歳。
あなたはどんな14歳でしたか?
音楽界のヒーローたちが過ごした「14歳」を紐解く貴重な記録集。

収録アーティスト

第一集

【14歳】
古市コータロー/THE COLLECTORS
岡村靖幸
TOSHI-LOW/BRAHMAN
鈴木圭介/フラワーカンパニーズ
フミ/POLYSICS
TAKUYA/ex.JUDY AND MARY
草野マサムネ/スピッツ
浅田信一/ex.SMILE
武内亨/ex.チェッカーズ
坂本美雨
山口隆/サンボマスター
和田唱/TRICERATOPS

第二集

【14歳 Ⅱ】
後藤正文/ASIAN KUNG-FU GENERATION
川上洋平/[Champagne]
宍戸留美
桜井秀俊/真心ブラザーズ
小出祐介/Base Ball Bear
綾小路翔/氣志團
中村中
松本素生/GOING UNDER GROUND
猫沢エミ
尾崎世界観/クリープハイプ
増子直純/怒髪天
細美武士/the HIATUS

第三集

【14歳 Ⅲ】
宮藤官九郎
リンダdada/N’夙川BOYS
宇多丸/RHYMSTER
りょーめー/爆弾ジョニー
田中和将/GRAPEVINE
TAKUMA/10-FEET
山口一郎/サカナクション
大森靖子
木下理樹/ART-SCHOOL
イノウエアツシ/ニューロティカ
後藤まりこ
甲本ヒロト/ザ・クロマニヨンズ

ニャム評

佐々木美夏さんというライターが、ザ・コレクターズのコータローさんとツイッターでおしゃべりしているうちに「本」として取材することになった企画本だそうです。
あとがきにはそのやりとりが記されています。

きっかけはツイッターでした。
昨年ころ、私が何気なく「14歳で人生決まった気 がする」とつぶやいたら、古市コータローから「俺もそうだった」というリプライ。
最初は「じゃあ今度飲んだときにでも話聞かせて」くらいの軽い気持ちだったのですが、「ちゃんと話したいから取材してよ。本にしよう」と言われたことから企画が動き出しました。

このようにして、「14歳のころ」に特化した珍しいインタビュー集ができあがりました。
私はもちろんスピッツのマサムネくんのインタビューが収録されているので買ったのですが、収録されたすべてのインタビューが突き刺さるように印象的でした。
ごひいきのミュージシャンがどんな話をしているのか、それぞれ気になるかと思うので、全ミュージシャンのインタビューのハイライトを以下でご紹介します。
ここでは触れませんが、それぞれのインタビューで「居場所のない14歳に向けてのメッセージ」、そして「自分の14歳を映画にしたらテーマ曲はなに?」という質問もあるので、ぜひ本を手に取って読んでいただきたいです。

第一集

【古市コータロー/THE COLLECTORS】

文化出版局に勤務する父母の間に生まれたコータローさん。
(文化出版局とは、文化服装学院という服飾専門学校の出版部門として生まれた出版社ですね。「装苑」などを出版しています)
小学5年生のときに父親が死去、コータローさんは母親を支えなければと幼心に思います。
しかし中学2年生の春に母親のがんが再発し、そのまま冬に帰らぬ人となってしまいます。
「母親が死んだらどうしようかと思ってたんだよね。俺も死んじゃおうかな、みたいなことは思ってた。あのビルじゃ(飛び降りるのに)ちょっと低いなー、って見たりもしてたから・・・本当に死のうと思ってたんだよ」
14歳の喪主という話は、小さな心でどれほどの大きな出来事を抱えなければならなかったのかと胸が痛みます。
音楽との出会いは13歳。
池袋のヤマハでセックス・ピストルズのPV(出版当時はプロモーション・ビデオと呼ばれていました。現在はミュージック・ビデオとレコード会社が呼称を変えましたね)を見たのがすべての始まりだと語っています。
とにかく壮絶という文字を具現化したような14歳でした。

【岡村靖幸】

父親が航空会社の営業職だった関係で、十数回の転校を経験したという岡村ちゃん。
中学校だけでも3校ほど通ったといい、数多く転居したことが人格形成に大きな影響を与えたと語っています。
中学2年生のころは歌謡曲もロックもアイドルも幅広く聴いていて、洋楽邦楽問わず吸収していたそうです。
家庭環境が不安定になり、自分の居場所も落ち着かない14歳を過ごした彼は、「青年14歳」という曲も作っており、当時の自分自身を投影しているそうです。

【TOSHI-LOW/BRAHMAN】

ご想像に違わず、やんちゃなガキ大将タイプだったというTOSHI-LOWさんはまた、勉強は「国語ではこう書けば点が取れるってわかってた」と、そつなくこなすタイプだったといいます。
「人よりすごい熱くなる部分とすごい冷めてる部分がある。俯瞰してるとかではなくて、本当に冷たい、感情がない感じで人のこと見てるときもあって」
と言う彼は、小学2年生のときに集団からのけ者にされる体験をしたことがきっかけで、彼いわく「電信柱の上にある無人カメラみたいのがずっとある」状態、自分を見下ろす自分という視点ができたそうです。
また、いつか訪れる死への強烈な恐怖があり、未来に希望を持てなかったそうで、そのころからブルーハーツ、ケンヂ・アンド・ザ・トリップスなど反体制の音楽へのめり込んでいきます。

余談ですがケンヂ・アンド・ザ・トリップス(KENZI & THE TRIPS、ケントリ)とは、パンクロッカーKENZIが上田ケンヂ、佐野俊樹らと組んだ伝説のパンク・バンドで、the pillowsのドラマー、佐藤シンイチロウもメンバーでした。
ケントリが解散したあと、ウエケンさんがシンちゃんを引き連れてさわおさんにバンド結成を持ちかけ、Peeちゃん(ギター)を誘ってthe pillowsは結成されたのでした(そしてさらにその後上田さんが脱退してベーシスト不在のまま現在のピロウズに至る)。

14歳のころはパンクに目覚め、ギターを買い、バンドに憧れ(田舎だったためメンバーが集まらなかったそう)、毎日ケンカして、親の財布からお金を抜き取ってライブに行きまくるという、なんとなく想像通り(笑)の青春を送っていたそうです。
荒れる、つっぱる根本には「誰も信用できない」という思いがあり、その「俺の一対一の孤独感に応えてくれたものはバンド」つまりブルーハーツやケントリだった、と語ります。
ここでは書けないような、あと一歩踏み外したらこの社会で生活できなかっただろうと思われる出来事などが盛りだくさんで語られています。
真面目(?)な大人になって本当によかったと思います。笑
きっと音楽と出合っていなかったら、いまこうしてここにはいなかった。
TOSHI-LOWさんに限らず、みんなそういう岐路があったんだなと思わされました。

またまた余談ですが、TOSHI-LOWさんといえば、怒髪天25周年記念ライブのとき、増子さんに「お前はこれを着ろ」と用意された横山やすしの衣装を着てステージに登場し、「勝手にしやがれ」を歌って帰ったという伝説のステージを見たことが衝撃でした。
あれを見られた人は本当にラッキーだったというか、TOSHI-LOWさんにあれをやらせる増子さんが神だと思いました(悪魔か)。

【鈴木圭介/フラワーカンパニーズ】

頭からつま先まで普通、平凡だったという圭介少年。
ふたつ年下の弟とはなにもかもが真逆で、折が合わず険悪だったそうです。
あることをきっかけに殴り合いの大げんかになり、殺されそうなほどの危機となって疎遠になりますが、10年ほどして兄弟が歩み寄る機会があり、それからはどんなことでも弟に相談するほどの仲になったそうです。
「なんかあるとメンバーより先に弟に言う。そうするとだいたい的確な答えが来る(笑)」んだそうです。
そんな圭介さんの14歳は、人生で一番つまらなかったと言います。
背が低く、メガネをかけて、「チビメガネ」とあだなをつけられ、「弱者」と自らを位置づけて内にこもっていたそうです。
中学2年生で自我をすべてため込み、自分のなかで熟成させたまま放出する場もなく、中学3年生でフラカンのメンバーと出会うことで一気にすべてが開けました。
このときメンバーとの出会いがなかったら、圭介さんの人生はまったく違ったものになっていたでしょう。
そして、14歳の少年がひとりでじっとため込んだなにかが、きっといまの圭介さんを形成したのだろうと思いました。

【フミ/POLYSICS】

小学2年生で両親が別居し、父親と暮らしたあと小学5年生で母親のもとへ転居することになったフミちゃん。
父子家庭だったころから学校をサボりがちで、中学校へ進学してからはほとんど学校へ行かなくなったそうです。
ちょうどそのころ大人気だったKUSU KUSUというバンドに夢中になり、チケット代欲しさにテキ屋で年齢をごまかしてアルバイトしたり、バンドのローディーと仲良くなったりするうちに、学生の世界よりも音楽業界の世界にどっぷりと身を置くようになってしまいました。
家に帰らず、KUSU KUSUで知り合った同世代の友だちの家へ転がり込み、あちこちを転々として暮らす生活を送ります。
14歳でバンドメンバー募集していたという筋金入りの音楽少女は
「バンドがやりたいっていうより、同じような感覚を持ってる人に会いたいというほうが大きかったんじゃないかなあ」
と言い、学校には「それ」がなかったと語ります。
学校へ行かず、音楽業界へ入り浸る少女という立場は、娘を持つ親から見ればかなりヒヤヒヤする半生だと思います。
やはり女性という性別で被害者になる可能性は格段に上がるので、フミちゃんの経験というのはかなり特殊だったろうと思います。
それでもポリシックスのメンバーとして最高のライブを見せてくれて、あのたくましいキャラでいるというのは、彼女自身が持つスーパーポジティブな感性なのかなと感じました。
「こんなに楽しい世界が35歳の私にあるなんて、14歳のときには思えてなかったから」
という言葉がとてもまっすぐな明るさとして伝わってくるインタビューでした。

【TAKUYA/ex.JUDY AND MARY】

喫茶店チェーンを経営する両親のもとに生まれ、金銭的な苦労を知らずに育ったTAKUYA少年は、マンガの影響でボクサーを夢見たりバスケットボールの選手を目指したりと、マンガに夢を左右されるマンガ少年でもありました。
小学生のころは沢田研二、YMO、カルチャー・クラブなどを聴いて育ちます。
そんな穏やかな暮らしから一転、全寮制の中高一貫校へ入学したことが人生の転機となりました。
(本人いわく)学力レベルはほどほどの学校で首席として入学した彼はしかし、そのせいで上級生から呼び出され竹刀でボコボコに殴られるという「洗礼」を受けます。
毎年精神的に追い詰められて退学する生徒が出るというほど暴力の横行していた学校で24時間過ごす生活となり、そこで「いかに自分が犠牲者にならず生き延びるか」という政治的感覚を養ったそうです。
そんなTAKUYA少年に事件が起きたのは、まさに14歳のときでした。
女の子にモテたいというノリから始まり、教授(坂本龍一)を目指そうとキーボードの練習を始めますが、自分の楽器を買ってもらおうと実家へ連絡しても電話がつながらず、翌日になって実家が放火の被害を受けたことを知ります。
京都連続放火という事件が起きていて、その被害を受けてしまった。
そこで「シンセ買って」とは言えないなぁ、と思っているところに、学校の先輩が「ギターだったら安く売ってやるよ」と声をかけられ、この瞬間にギタリストTAKUYAが誕生しました。
とにかく壮絶な寮生活がつづられていて、比喩ではなく本当に軍隊、戦場で暮らしていた状況だったようで、「家に帰って、鍵かけるとき、本当に鍵があってよかった、って。40歳過ぎた今でも毎日、マジでよかったって思う」のだそうです。
明日を生きられるかわからない戦場で彼が手にしたものがギターだったこと。
これが運命でなくてなんであろう、と思わざるを得ません。

【草野マサムネ/スピッツ】

とにかく憶病だったという彼は、そのエピソードとして「クラス替えの日は吐いてた(笑)。怖くて。いろいろ新しくなっちゃうことが怖くて」と冒頭で語っています。
他人から見ると平凡でのんびりしたマサムネ少年は、マンガ家になりたいという夢を持ち、物語を脳内で空想し続けていました。
そんな彼が音楽と出合ったのは小学5年生。
病気が長引いて寝込んでいたとき、退屈しのぎに聞いていたラジオから流れてきたのが洋楽でした。
ABBAやチープ・トリック、クィーン、キッス、エアロスミスなど王道のロックと出合い、「新大陸を見つけちゃった」ような興奮をおぼえます。
余談ですが現在マサムネくんがDJをしているラジオ番組「ロック大陸漫遊記」も、「ロックという新大陸」について語る番組ですね。
14歳でギターを始めたときも「新大陸に上陸して最初のアイテムを手に入れた、みたいな」と語っています。
そのころスケートボードも流行していて、「そのときスケボー買ってたら伝説のボーダーになってたかもしれない」と謎のコメントもありました笑
妄想が友だちで、現実世界がつらくても逃げ込む世界を自分で作り出せたというマサムネくん。
いまでも妄想世界は彼の頭のなかで続いていて、それがスピッツというバンドに命を吹き込んでいます。

まだまだ醒めない アタマん中で
ロック大陸の物語が
最初ガーンとなったあのメモリーに
いまも温められてる

そして「さらに育てるつもり」という心強いメッセージとともに、スピッツはまだまだ続いていくのです。

【浅田信一/ex.SMILE】

小学生のころに両親が離婚、その後母親の再婚相手と暮らすも、義父が反社会的組織の一員で指名手配となったため、母親が失踪して自身は祖母の家へ逃げたという重い経験のある浅田さん。
その後も「あの子は親がいないから」ということで同級生からも教師からも偏見や差別を受け、「自分の身は自分で守るしかない」と、周囲に反発する生き方を強いられます。
夜の校舎で窓ガラスを壊してまわり、盗んだバイクで走り出すような、尾崎豊を地で行く青春だったそうです。
そんな彼の心に寄り添うのは音楽でした。
小学6年生のころは給食の時間に教室でDJをやり、中学生になると親戚のつてで工場のアルバイトをしてギターを手に入れます。
同級生をそそのかして他パートの楽器を買わせ、中学2年生でバンドを組んで音楽を始めた浅田さん。
そのバンドにはSMILEのメンバー、達也さんもいたそうです。
その後、母親と再会するも再び離別するというつらい経験もしながら、彼は音楽だけに邁進していきました。
「バンドは誰にも教わらず表現できるってことがすごく大きかったし、自分にとって心のよりどころだった。本当に、生きている実感みたいなもの。ここに俺はいていいんだな、っていう」
そんな彼が発する言葉は、どれひとつ取っても重い意味を持って響きます。
「自殺することも現実逃避だと思うんだよ。でもさ、14歳でさ、なんで死を選ぶ? 世の中の誰でもいいよ、例えば渋谷でもどこでもいいけどさ、本当に自分は今死にたいと、死にたいくらい切羽詰まってます、って言ったら、みんな助けてくれると思うの」

【武内亨/ex.チェッカーズ】

5歳で両親が離婚し、母親の手で育てられたトオルさん。
一人っ子で母子ふたりという生活、さらに母親が夜働いていたため、自由に遊び放題だったそうです。
初めての補導が小学生だったという一面もありつつ、器械体操と剣道を真面目に取り組み、「精神統一には星座がいちばん」というほど。
学校では「変わったことをするのが好きで、わ~って面白いことを仕掛けてみんなが集まってくる、みたいのが大好き」で、シュールな遊びを考えては周囲を巻き込むという、サブカル人間だったそうです。
14歳のころはクィーンの「オペラ座の夜」や、ジョン・レノンの「ロックン・ロール」、ポール・マッカートニーの「ラム」などを擦り切れるほど聴き、並行して手塚治虫の「火の鳥」などで死生観に直面し、内へ内へとのめり込んでいった時期でした。
インプットを吐き出さないと「やばい」と感じてロックンロールを選んだという彼は、そののちに伝説のグループ、チェッカーズを結成することになります。
トオルさんのインタビューで特筆すべきは「お父さん」として語っている部分です。
3児の父でもあるトオルさんは、息子が同級生と起こしたトラブルをきっかけに、父親として問題に向き合い、そうこうするうちに「駒沢辺りの金八先生みたいになってんの(笑)」だそうです。
正義感が強くて、そして自分の14歳だったころを思うといまの子供たちを放っておけない、アツいオジサンになっていました。

【坂本美雨】

坂本龍一と矢野顕子が両親という、音楽一家に生まれた美雨ちゃん。
ホームパーティにジャパン(イギリスのロックバンド)のメンバーが来るという、かなりレアな環境で育ちました。
両親の仕事が一般的ではないことは幼少時から理解し、ませた子供だったといいます。
小学5年生のときにニューヨークへ転居することになり、そこでカルチャーショックを受けます。
「借りたものを返さない(笑)。『返して』って言わないと返ってこないことを早い段階で学んで、こういう国か、って。主張しないといけないんだな、って」
そして13歳のとき、「お姉ちゃんと弟がいるよ事件」(本人笑)が起きます。
父親に呼ばれて兄とふたりで「実は君たちには弟がいるんだ」と言われ、さらに「でね、お姉ちゃんもいるんだ」と。
「下はわかるけど、上?(笑)」
週刊誌に掲載されてしまうため、その前に子供たちに告げなければということで知らされたそうです。
そこで兄がショックを受けているのを見た美雨ちゃんは、自分がしっかりしなければととっさに思い、「明日それが週刊誌に出ちゃうんでしょ? だったらみんなに仕事してるとこを見せたほうがいいよ」と「ものわかりのいい子供」を演じてしまったといいます。
14歳でいろいろなことを受け入れてきた美雨ちゃんは、15歳から「暗黒時代」に突入します。
母親とともにクリスチャンであり、その一方でゴシックにはまり、ナイン・インチ・ネイルズやマリリン・マンソンに多大な影響を受け、双方のギャップに苦しんだといいます。
自我の目覚めに苦しみつつ、それでも彼女の周囲の環境は悪くなったのではないかなと個人的には思います。
そのもっとも大きなものは、アメリカで暮らす人々の思想ではないかと感じました。
「そこで何かその人が主張したりひとつ強いものを見せたりすると、理解してくれる人はいるんですね。いじめって、いじめてるほうもパワー使うじゃないですか。アメリカ人って人のことにパワー使うより自分のことにエネルギー使うから、人をいじめることに執着しないですね。日本人はちょっと何かがゆがむと、そこに向かうエネルギーってすごいけど、アメリカ人はそれより自分のことをやってる。“Mind your own business.”って感じ」

【山口隆/サンボマスター】

福島の北会津で生まれ育った山口少年は、テレビで浪曲や落語を楽しみ、ラジオで小沢昭一や森?久彌の番組を好んで聞き、「ジェシカおばさんの事件簿」「名探偵ポワロ」「特攻野郎Aチーム」などが大好きだったというサブカル少年でした。
また、父親の影響でジャズを聴いていましたが、同級生の好みとは違うことにも気づいていて、それらを隠しながら過ごしていたそうです。
小さな村の共同体でずっと同じメンバーと一緒に過ごし、「みんなとは違う」部分を隠してきた山口少年は、14歳のときに転校してきた友人との出会いで一気にサブカル魂が炸裂します。
「俺は14歳は超楽しかったですよ。超絶楽しかった。14歳最強ですよ。(中略)今まで、このコミュニティにいるには自分のこういう部分は邪魔だなぁ、って思っていた部分が、そういう面白いやつと会うことによって爆発するっていうか」
人生でもっとも面白おかしく過ごした14歳はその後も続き、ビートたけしや映画の名ゼリフ、ローリング・ストーンズの歌詞、みうらじゅんの「アイデン&ティティ」に影響されまくっていきます。
そして結局、この14歳の脳はサブカルアップデートを更新し続け、そのまま今に至るようです。
男だけがわかる、めっちゃくだらない、面白いことだけを追求する遊び。
そこにモテ要素はまったくなく、でもなんとなくわかる、あの楽しい世界。
ピーターパンみたいな、永遠の男の子なんだろうなって思います。
ウェンディは連れていけない、男の子だけの世界。
そんな彼は、「いじめはなくならないと思う?」という問いにこう答えています。
「いや、なくならないと思っちゃいけないんじゃないですか? 差別とか戦争もそうだけど、なくならないを前提でいられるほど人間強くないだろう、っていう。罪はなくならないと思いますか? っていうのと大して変わんねぇっつーか」
このまっすぐさは、自分の好きなものだけを追求してきた彼だからこそ出てくる言葉で、そういうまっすぐさが非常に心地いいと感じました。

【和田唱/TRICERATOPS】

幼いころは疳(かん)の虫が強く、協調性がなく、嫌いなことを10分と続けられない性格だったという和田くん。
幼稚園がいやでたまらなくて泣いてばかりいるため、年少でクビになったそうです(笑)。
小学5年生でマイケル・ジャクソンとの出会いがあり、そこで人生が「紀元前と紀元後」くらい変わったといいます(彼のマイケル好きは大変有名ですね)。
その後、中学受験で玉川学園中学部へ入学しますが、そこでつまづきを経験することになります。
成績が落ち、背も伸びず、学校の方針も彼に合わなかったため、非常に苦しむことになりました。
学校で自分の存在を認められず、自信をなくしてひっそりと過ごしていた和田少年がギターを手にしたのも、このころでした。
学校で人気者だったサッカー部の生徒たちが「ギターを買った」というのを聞き、それが「かっこいい」の一環で手に入れたんだと思う妙な腹立たしさと、自分もその仲間に入りたいという気持ちで「自分も買おう」と思ったそうです。
親に頼んで安いエレキギターを買ってもらい、コードを覚えて簡単なフレーズを弾けるようになると、そこで「世界が急にバン!って開けた感じ」になります。
そしてついに「唱ちゃんはたぶん今、学校でいちばん上手いよ」という噂がサッカー部のモテメンズの耳に入ったとき、「そのとき俺は、世の中を支配した気分になったね」
ギターという武器を手にして生きる術を身に着けた和田くんは、子供が生きていくうえでもうひとつ大事なこととしてこう語ります。
「今これをたまたま読んでるお父さんお母さんがいたら、『とにかくいつでもお前のことを愛してる。いつでもお父さんとお母さんが守ってあげるからね』って絶対に言ってあげてほしい。俺はそれがデカいよ、結局」

14歳2 ニャムレットの晴耕雨読 14歳3 ニャムレットの晴耕雨読